日本SF映画の壮大な、愛すべき失敗作「さよならジュピター」
『さよならジュピター』
37年ぶりに「さよならジュピター」をオンライン配信で観た。
1984年の3月の公開当時高校生だった僕は映画館でこの作品を観た。
その頃はすでに映画ファンを自称しており、特にルーカス、スピルバーグの影響を受け、SF映画を好んでよく観ていた。
当時は1977年の「スター・ウォーズ」の空前の大ヒットを受け、毎年のようにSF映画の大作、話題作が公開されていた。ちなみにその頃公開されていた主なSF映画の話題作は「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」「ブレードランナー」「遊星からの物体X」「DUNE /砂の惑星」など。いずれも当時の最先端映像技術を駆使して作られていて、今もなお高い人気と評価を得ている作品も多い。そのほとんどはアメリカのハリウッド製作のものだった。
対して日本はというと、「スター・ウォーズ」のヒットを受け、いくつかのSF映画が作られた。1977年に「惑星大戦争」、1978年に「宇宙からのメッセージ」が公開されたが、いずれもアメリカの大作とは比べるまでもなかった。
そんな中、日本でも「2001年宇宙の旅」に匹敵するSF映画を作りたい!という高い志のもとに作られたのが「さよならジュピター」だった。
原作と製作・総監督を日本SF界の巨匠・小松左京が務める力の入れようだった。
舞台は2125年。地球の人口は180億人を超え、地球圏外にも5億人の人間が住む世界。地球のエネルギー問題を解決するため「木星太陽化計画」が進められていた。
ところがブラックホールが太陽系に接近しつつあり、このままでは太陽に衝突し太陽が消滅してしまうことが判明。そこで木星太陽化計画を木星破壊計画に変更。木星内部で急激な核融合反応を起こし、ブラックホールにぶつけブラックホールの軌道を変えるプロジェクトが始まる。
一方木星を守ろうとする教団の過激分子が、計画の阻止に向けテロ活動を開始する。
壮大な科学的ストーリーとエンターテイメント性を合わせ持った日本のSF映画の大作として、僕を始めとした日本のSFファンは大いに期待していた。僕は映画公開前から小松左京の書いた原作小説を読み、公開を楽しみにしていた。
しかし完成した映画を観て、その期待は裏切られてしまった。
当時SFのアートワークスのトップ集団だったスタジオぬえがデザインした宇宙船はリアリティがあり、撮影用に精巧にミニチュア化された。ミニチュアの出来はすごく良かったのだが、映画の中ではすごく出来の良い模型にしか見えなかった。
その頃はまだCGを使って宇宙船を作るまでの技術はなかったので、アメリカ映画の宇宙船もミニチュアだった。当時日本ではこうしたSF映画の撮影に使用されたミニチュアモデルの展示会がよく行われていて、僕も足を運んで実物を見て興奮していた。
でも「スター・ウォーズ」などの撮影で使われているミニチュアは、間近でよく見ると意外と雑に作られている。それでもスクリーンに映し出されるそれらは、圧倒的な重量感とリアリティが感じられた。
「さよならジュピター」に登場する宇宙船たちは、確かにミニチュアとしてはとても精巧にできているのだが、映像になってもミニチュアの域を出ていなかった。これがアメリカと日本の撮影技術の差なのか!と思い知らされた。
ストーリーも、色々な要素を詰め込みすぎた感があり、演出もキレがなかった。特に木星を保護する教団のシーンは、教祖を始めダサいヒッピーにしか見えず、映画の中でも浮いていた。
宇宙基地のスタッフたちが着ている制服も、今見るとドンキで売っているビニールの雨がっぱにしか見えず、センスのダメっぷりが悲しかった。
そんな悲しい内容の最後を締めくくったのが松任谷由美の歌う「VOYAGER〜日付のない墓標」だった。この歌はとても良く、当時の音楽シーンでもヒットし、今もユーミンの人気曲のひとつになっている。
僕にとっては日本のSF映画が夢を成し遂げられなかった鎮魂歌として記憶に刻まれていた。
だからこの歌が久しぶりに、今公開中のあの映画の中で使われているのを見て、「ああ、きっと監督も同じ思いだったんだなあ」と何だか胸が熱くなってしまった。
日本の特撮映画がたどってきた幾多の挫折を、彼も何度も悔しい思いをしながら見てきたのだろう。だからこそ、これまで討ち破れていった日本のSF映画、特撮映画のスタッフたちへの敬意を込めて「シン・ゴジラ」やこれから公開される「シン・ウルトラマン」、そして今公開中の作品を作ったのだと思う。
カバーバージョンではあるが「VOYAGER〜日付のない墓標」が今公開中のあの映画のあの場面で流れたのは、きっとそういう意味があるに違いない、と思っている。