タルコフスキー月間の締めは「ストーカー」
『ストーカー』
先週の話になりますが、川崎市アートセンターで上映されていたアンドレイ・タルコフスキーの特集上映「ソビエト時代のタルコフスキー」で「ストーカー」をみてきました。
これでこの特集上映での6作品の内、4作品を観ました。短期間にこれだけの数のタルコフスキー作品を観たのは初めて。しかも4作品中3作品が2時間半超え。いや〜、よくがんばった(笑)
さて「ストーカー」ですが、僕がこの作品を初めて知ったのは、映画にハマり、「ロードショー」や「スクリーン」などの映画雑誌を読み始めた中学生の頃。この映画の日本初公開は1981年で、当時読んでいた「ロードショー」の新作紹介記事で知ったのでした。
当時からSF映画が好きだったのと、何とも怪しげで不可思議な映画の一場面の写真が強く心に残り気になっていました。
「一体どんな映画なんだろうか?」
当時はタルコフスキーがどんな監督かもよくわかっていません。
もしもその頃「へー、SF映画かー」と思い観ていたら、きっと10分で寝落ちしていたでしょう。
思えばタルコフスキー監督がその生涯で残した8本の監督作品のうち、SF小説を原作とした作品はこの「ストーカー」と「惑星ソラリス」の2本です。遺作となった「サクリファイス」もSF的な設定の作品です。
なぜタルコフスキーはSFの設定を好んだのか?それはソビエト連邦という体制のもとで映画を撮らなければならない、という事情があったからだと思います。
ソ連では映画制作においても表現に様々な制約がありました。「アンドレイ・ルブリョフ」は、国との歴史認識の違いからカットを余儀なくされたシーンもあるそうです。
「アンドレイ・ルブリョフ」のように史実に基づいた作品はそういった制約を受けやすいのでしょうが、SFとなると違います。
基本的に空想のイメージで作れるので、事実をベースとした作品のような制限は受けづらかったのではないかと思います。「惑星ソラリス」も「ストーカー」も原作はSFですが、映画で描かれているのは、当時のソ連への体制批判であったり、宗教や芸術に対するタルコフスキー監督の独自の思想だったりします。おそらくまともに描けば国の検閲の対象になったのでしょうが、SFというオブラートで包まれているから、そういった干渉をしのげたのではないかと思います。
「ストーカー」は、ある日突然出現した「ゾーン」と呼ばれる場所に侵入しする3人の男たちの物語。「ゾーン」に政府が送り込んだ軍隊は誰一人返って来なかった。以来「ゾーン」は立ち入り禁止になっていた。
3人の男は「ゾーン」の中にあるという願いが叶う「部屋」を探し回る。
果たして3人は「部屋」に辿り着けるのか?また「ゾーン」とは何なのか?
SFとは言うものの、「惑星ソラリス」同様哲学的なテーマが展開する難解な物語。
僕が初めてこの作品を観たのは20代の頃でDVDでだった。正直内容は理解できなかったが、「ゾーン」の内と外とで色調が変わる映像や、「ゾーン」内の廃墟のような風景にとても惹かれ、映像的にはインパクトの強い作品だった。
久しぶりの鑑賞で、スクリーンで観るのは今回が初めて。やはり難しい映画だが、「ゾーン」内のイメージには見入ってしまう。この廃墟感はタルコフスキーならではのもの。
ラストシーンも素敵です。

