ディアトロフ峠事件の真相とは?「死に山」 | 帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

ディアトロフ峠事件の真相とは?「死に山」

ドニー・アイカー

『死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』

 

 以前から遭難や漂流に関するルポに興味があり、その手の新刊が出ると必ずチェックしている。この本もそんな1冊なのだが、ここ最近読んだノンフィクションの中では抜群に面白かった。

 テーマとなっている「ディアトロフ峠事件」とは、1959年2月、ソ連のウラル山脈で起きた9名の大学生たちの遭難死亡事故で、今もその原因について様々な憶測が飛び交っている山岳史上最大のミステリーのひとつ。

 大量遭難事故には違いないのだが、これくらいの規模の遭難事故はこれまでにもいくつか起きている。ではなぜこの事件がそこまで世界を騒がせているかというと、9人の死亡状況があまりにも異常だったからだ。

 9名はベーステントから1キロ半も離れた場所で見つかったのだが、そのほとんどはマイナス30度近い厳寒地にも関わらず、ろくに防寒具も着ず、靴すら履いていなかった。またそのうちの数名は頭蓋骨骨折などの重傷を負い、1名は舌を喪失していた。遺体の着衣からは高濃度の放射能が検出された。

 事件を捜査した当時の報告書は9人の死因を「未知の不可抗力」と結論づけた。

 そしてこの事件が世界に公開されたのは1980年代のグラスノスチ以降。そうした情報公開の遅れが、当時のソ連に何かとんでもない秘密があったのでは?という憶測を呼ぶ。例えば地元の原住民に虐殺された。あるいは秘密兵器の実験に遭遇した。さらには地球外生命体の襲撃にあった、などなど。

 21世紀になり、この事件の詳細がインターネット上でさらに拡散される。そこには先に書いたような様々な憶測が付け加えられ、ディアトロフ峠事件は世界的な未解決ミステリーとして知れ渡るようになる。

 ちなみにこの事件を題材にし、「ダイ・ハード2」「クリフハンガー」を撮ったレニー・ハーリン監督が2015年に「ディアトロフ・インシデント」という作品を作っている。この映画では、事件の真相を探りにやってきた現代のアメリカ人たちが、事件現場の近くでソ連の秘密研究所を発見。中に入ってみるとそこには・・・!という内容。映画的にはB級SFミステリーになっているが、この手のものが好きな人はどうぞ。

 さて、本筋に戻ろう。

 この本の著者のドニー・アイカーはアメリカ人で、映画やテレビの世界で監督やプロデューサーとして活躍している人物。彼もネタのひとつとしてこの事件に飛びついたのだが、ネットにあふれる様々な憶測や尾ひれのついたトンデモ話をなぞっただけなら、こんなに面白い本にはならなかっただろう。

 彼が行なったのは、実に基本的なジャーナリズムの手法、調査報道の鉄則に従った取材だ。

 まずは公開されている事件の調査報告書を丹念に調べた。遭難した登山チームの日誌や、遭難捜索隊の報告書など。

 そしてチームの唯一の生き残りに会いに、ロシアまで飛んだ。実はこの遭難事件では、ひとりだけ男性の生存者がいた。ただし彼は事件の発生する前に体調不良を訴え、ひとりで下山したのだった。そのため事件当日に何が起きたのかは知らないのだが、亡くなった9人の人となりや、事件直前までの彼らの行動を知る上では貴重な存在だ。

 そして著者は取材の締めくくりとして、事件の起きた現場まで自らおもむいている。そして現場を見ることで、それまでの取材内容と合わせ、ある確信を得るのだ。

 本書の終盤では、著者が膨大な資料の精査と、遭難者を知る関係者たちへのインタビュー、そして事件現場の取材にもとづき、それまで流布されてきた様々な憶測を次々と否定していく。

 そして最後に、彼がたどりついた事件の原因と考えられるひとつの結論が語られる。

 もちろんそれだって著者が推理したものでしかなく、未だに事件の真相は分かっていない。

 しかし彼がたどり着いた結論は、様々な角度から検証され、確かな裏付けのもとに考えられたものなだけに、かなり説得力がある。

 本書の価値は、事件の真相そのものにあるのではなく、そこにたどりつくための手法が、現代社会においてはないがしろにされそうになっている「調査報道」の手法をとられているということだ。

 ネット上にあるディアトロフ峠事件について書かれたものの大半は、その異常な遭難状況だけを取り上げ、裏付けもなく興味本意で書かれたものばかりだ。だからソ連の陰謀説や、宇宙人襲撃説がまことしやかに語られ、広がっていく。

 しかしドニー・アイカーはそういった説をいったん脇に置き、あくまでも残された事実だけを丹念に掘り起こし、事件の真相に迫ろうとした。

 彼自身も本書の中で、それこそが亡くなった9人に対する敬意である、と書いている。

 こうしたジャーナリストとしての誠意がこの本には感じられる。タイトルこそセンセーショナルではあるが、読み進めていくうちに、その冷静かつ分かりやすい分析にどんどん引き込まれていく。

 今年のベストノンフィクションの1冊。