「正義」はつらいよ | 帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

「正義」はつらいよ







 ゴールデンウィークが始まりましたね。今年は特に遠出をする予定はないので、休暇中は1日1本映画を観ようと思っています。
 そんなわけで、この週末は「バットマン VS スーパーマン ジャスティスの誕生」と「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」の2本を観てきました。片やDCコミック、片やマーベル・コミックとアメリカを代表する2大コミック原作の作品。
 「シビル・ウォー」は「アベンジャーズ」シリーズの新作ということで、新たなキャラクターも加わり、物語は混沌としてきています。今回はタイトルの「シビル・ウォー(Civil War)」が示すように、仲間内の内戦が派手なスケールで展開されます。
 一方「バットマン VS スーパーマン」はと言うと、ようやくDCコミックス陣営も自社のキャラクターたちを組み合わせたシリーズ展開への第一歩ということで力が入っています。今回は主役の2人の他にワンダー・ウーマンが登場しますが、次回作からはさらにたくさんのキャラクターが登場するようです。
 日本で言うと「仮面ライダー」シリーズと「戦隊」シリーズの激突みたいなものですね。日本もアメリカもやっていることは同じです(笑)。でもまあ、子供の頃から慣れ親しんでいるキャラクターたちが、最新のVFX技術でスケールのでかい闘いを繰り広げるわけですから、大人も巻き込んで大ヒットするわけですね。

 今回この2作を観て思ったのは、正義のあり方に対して苦悩するヒーローたち、という描き方が共通しているなということでした。
 これまでヒーローものと言えば、クライマックスは派手な戦闘が繰り広げられるのがお約束でした。ほとんどはヒーローたちの勝利に終わり、世界は救われてめでたしめでたし、だったわけです。
 ところがその戦闘の過程で、街は破壊され、当然そこに住む住民たちも被害を被っているわけです。そういった点には、あえて今までのヒーローものはスポットを当てていなかったわけですが、この2作に関しては、まさにそこが物語の重要なポイントとなっています。
 「バットマン VS スーパーマン」では、スーパーマンの活躍により世界は救われますが、その闘いの中で多くの犠牲者が出ます。バットマンであるブルース・ウェインは、自分の会社や社員が闘いの犠牲になり、スーパーマンの存在意義に疑問を抱き、彼を倒そうと決意するのです。
 「シビル・ウォー」では、アベンジャーズたちがこれまで繰り広げてきた闘いの中で、多くの一般市民の犠牲者が出ていることに対し、各国から非難の声が上がり、彼らを国連の監視下に置くことが提起されます。
 そのことに対し、アベンジャーズ内で賛成派と反対派に分かれ、やがてそれは仲間内での闘いへと発展していきます。
 「正義」とは何か?それは見方によっていろいろと変わってきます。例えばアメリカがテロリストの殲滅を大義名分に繰り広げてきたアフガニスタンや中東での戦争。アメリカは正義の名の元に派兵をしてきたわけですが、その中でテロリストとはまったく関係のない人々もたくさん犠牲になっています。
 また現在シリアで続いている内紛も、政府も反政府派もそれぞれの正義を振りかざし闘いを続けています。その中で犠牲になっているのは、やはりたくさんの一般市民であり、国を捨てて脱出してきた難民たちが世界的な問題になっています。
 こうした混沌とする現代世界の実情を反映しているかのように、この2つのヒーロー映画は、正義を遂行することの難しさと、それに苦悩するヒーローたちを描いていて、興味深く感じました。
 まあもちろん、そんな固いことは抜きにして、どちらも荒唐無稽な面白さを堪能できる作品ではあるのですが。