↑ ↑ ↑

暑い夏、一度はこれを聴かないと~~~。

 

 

最高裁が旧優生保護法を違憲とし、岸田君が国を代表して謝罪。平成8年に改正され母体保護法という名称になっても、まだ、SNSで、昔のような考え方の人がいっぱいいると聞いて、私、とっても驚いております。なんでそんな風にしか考えられないの? 母体保護法ってったって、お産はみんな違って、誰だって、どんな風にどんな子を産むか、どうやって育てるか、分かりませんものですわよ。

 

私が子どもの頃、父が会社から帰って来て、夕飯を食べ始める前に、今日はあんまを呼んでくれと言っては、近所であんまさんをしている視覚障害者の夫婦に来てもらって、玄関に近い茶の間に布団を敷いて、夫婦でもんでもらっておりました。

 

そのあんまさんは、奥さんのほうは光くらいは分かったらしいのですが、旦那さんのほうは完全に失明してらっしゃいました。でも、昔の親方に鍛えられているので、どのあんまさんよりいいと言って、父もその腕を信頼しておりました。

 

夫婦でうちにやって来る時は、いつも中学に入りたての黒縁のメガネをかけた息子さんが手を引いて連れて来て、すぐに家に帰り、終わる頃、また迎えに来ておりました。

 

ある夏の夜、その息子さんが、こ~んなおっきな蛾が入って来たと言って、うちに飛び込んで来て、あんまの奥さんが、何を小さい子みたいなことを言うでない、妹をほって来たのかと、怒りました。察しのいい私の母が、何言っているのさ、テレビでいいのをやっているんだよ、さ、上がって、テレビを観て行きなさいと言いました。あんまさんの家には、仕事を受ける電話はあったけれど、長いこと、テレビはないようでした。

 

その息子さんが生まれた時、あんまの奥さんは、私の母に子どもを見せに来て、この子は目が見えていますかと、母に聞きました。母は、子どもを抱いてあやして、大丈夫、この子、わたしが笑ったのに反応しているよと言いました。耳も聞こえているかと重ねて聞いて、大丈夫、わたしの声で目も追って来るから、どっちも大丈夫だよと言うと、安心して帰りました。

 

そこまで母はこの奥さんに信頼されていたのですが、下の女の子が生まれた時、同じように母に見せに来た時、ちょっと、この子は耳は大丈夫だけれど、目は分かってないようだと言うと、あんまの奥さんは怒って、本当か本当かと何度も聞き、本当にショックだったんでしょうね、悲しんでいたそうです。

 

多分、あんまの奥さんは途中で目がお悪くなった人なのか、今でいう糖尿病のような様子で、お亡くなりになり、しばらくして、あんまさんが後添えをもらうことになりました。母は、いい年して、何が後添えだと怒ったのですが、姉が、ああいう人は、誰かいないと困るでしょ、しょうがないじゃないのと母をなだめました。内輪の結婚式にも健常者として呼ばれたのですが、母は出ることをせず、宴会用に、家にたくさんある食器や茶わんを若い衆に持たせてやりました。

 

私が高校に行く頃、バス停でバスを待っている時、小さくで痩せたしょっぱいようなおばさんが、白杖を持った若い女の子の手をぐいぐい引っ張って速足に歩いていました。あの時、生まれた下の女の子です。きっと専門の学校に行くところだったのでしょう。そのうち、あんまの名人だった旦那さんも亡くなり、上のお兄ちゃんも家を出て、どうしたものかと数年が過ぎました。

 

今思うと、うちの両親はちょっしゅうあんまさんを呼んで、ずいぶん、贅沢に暮らしていたんだと思いますが、ある時から、とても若くて見た目も美しい男のあんまさんが父をもんでいました。新しいあんまさん?と聞くと、あの女の子の夫だといいます。ああ、こんな素敵な人と結婚したのかと思いました。どこまで目が悪いのか分かりませんでしたが、よくしゃべる人で、営業にも長けていたようですが、父は、昔の親方に厳しく鍛えられたあんまの名人と障害者の学校で習った腕とでは違うらしく、それからは、あまりあんまさんを呼ばなくなりました。