フランコの「たら・れば」
第二次世界大戦の時、永久中立国のスイスのように、中立の立場を取った国がいくつかございます。スウェーデン、スペイン、ポルトガル、アイルランド、アフガニスタン、トルコ、ブータン、サウジアラビアなど。サウジアラビアは石油の供給国の立場から中立。アイルランドは独立したばかりだし、スウェーデンは中立を保ちながら、貿易は続けていたというように、各国、諸事情がございます。私が注目するのは、スペインでございます。考えてみると、第一次世界大戦の時、スペイン風邪が流行りましたが、それはスペイン発祥という意味ではなく、スペインは対戦ムードに出遅れていたので、傷病数が数えやすかったかららしい。共和党側の事情を描いたヘミングウェイの「誰が為に鐘は鳴る」、あるいは、ドイツ空軍の無差別空爆を描いたピカソのスペインの街「ゲルニカ」。スペインは内乱で、第二次世界大戦前の世界がくっつこうか離れようか、画策していた1936年から1939年まで、国の二分化で、それどころではなかったのです。王政体制から軍事クーデターで共和国体制になったので、ま、遅れて来たフランス革命みたいなものですわね。ブルジョワ階層が標的になり、現に、カトリックの聖職者が奪われた命は全体の1割だとか。スペインの風習で、貴族の息子が聖職者になるケースが多かったですからねぇ。この内戦で失われた命は100万人に達するとも言われているので、大戦に参加しようにも、お金も人手もなかったってことね。で、将軍になったフランコですが、外交として、ソ連に金を送ったり、ドイツ、イタリア、ポルトガルOK、日本の満州国もOK。でも、あんまりヒトラーには好かれていなかったみたいです。今、モロッコからスペインに移民が泳いで殺到しているのが問題になっておりますが、モロッコにスペイン領が出来たのもこの時代でございますわ。だもの、責任持って、受け入れてもいいのにねぇ。ヒトラーがスペイン領土も欲しがって、あれも協力しろ、これもやれと言うものだから、採算が合わないと思ったんでしょうね、のらりくらりとドイツをかわします。日本がフィリピンに上陸した時は、さすがに怒って、フィリピンに関して、日本への戦後補償の時までしっかり取るものを取ろうとしました。フランコからみたら、若干、邪魔だった熱狂的なファシストを集めて、ドイツの協力に送り込むとかね、もしかしたら、自分の体制のためにこの大戦を利用していたのかもね。だからね、私が何を言いたいかと申しますと、もし、第三次世界大戦が勃発した時、日本は、実は、南海トラフが~~とか、富士山の噴火が~~とか、何でもいいから理由をつけて、のらりくらりと世界をかわして、中立を保つ知恵を身につけましょうということですのよ。スペイン人のいいかげんな二転三転する判断と、日本のはっきりものを言わない曖昧さ、これ、似てますわよ。独裁国家の宿命で、長く続いたフランコ政権では、汚職がはびこり、力に陰りを見せながらフランコは亡くなりましたが、遺言で、カルロス1世が国王となり、南米の大統領に向かって「お黙り!」と言ったことで有名な、今の国王、フィリペ5世のお父様が、総選挙を実施して、立憲君主制にしたことで今の国王一家にも国民の信頼が続いているのです。不思議よね、亡命していたイタリアでは、戦後、国民投票で王政を廃止したのに、その時、スペインに戻ってフランコの保護のもと、国王としてのお勉強をなさっていたということも。ただねぇ、私がスペインに行ったのは、もちろん、フランコが死んだあとですけれど、バルセロナオリンピックより前でして、まだグリーンベレーが街に立ってましたわね。絶対に、写真を撮っちゃいけないって、地元のお友達に言われました。この間のFIFAワールドカップでは、決勝戦を観るために、スペイン国王一家がアメリカに行き、首相夫妻もアメリカに行き、次期女王となるレオノール王女が妹と一緒に選手と同じ壇上で喜ぶ姿。あ、スペインはカトリック教国ですから、第一子が女性で国王になったんでもいいの、理屈が合いますから。私は、あの姿、とってもうらやましかったわ~~~。たとえ日本代表が優勝しても、両陛下がいらっしゃると思う~? 昨日の宮家の人手不足の話じゃないけれど、ああいうの、たいがい、久子様に丸投げで。ですので、独裁者フランコの「たら・れば」ですが、彼には、一貫して貫き通すひとつの精神が全くなかったから、逆にスペインは救われたということかしら。この人、~でなければならないっていうイデオロギーがまったくないの。もし、フランコが自分の利益みたいなものに固執しない人ならば、世界の戦後の処理で、マーシャルプランにも乗っかって、平和なバルセロナオリンピックの時代を迎えるのが、もっと早かったかも知れない、ということかしら。マーシャルプラン、ま、敗戦国の日本には、全く!関係ないプランですけれどね。