この間から続けているフォークソング特集ですけれどね、この60年代っていうのが曲者で、深みにはまると、だんだん自分が嫌になって来るんですの。めんどくさいくらい丁寧に生きたいと思っても、やっぱり個人主義的なわがままも言いたいし、そんなに私、いい人じゃないのよ。

 

ということで、今日の「歌謡曲だよ、成澤弘子」は、ここらでひとまずお休みにしようと思いまして、森山良子が歌います「今日の日はさようなら」。他の人もいっぱい歌っているのですが、私のキーと合わなくて、低いと私が一緒に歌えないから、聴いていて違和感があるの。

 

作詞・作曲:金子詔一

 

金子詔一という人は、昔、都知事選に立候補して落選した経験がおありです。でも、この歌は、「日本の歌百選」に選ばれておりますので、ま、それも名誉ある人生なんじゃございません?

 

ただね、この百選を選んだのがPTA系と申しますか、親子で歌える歌という主旨で選んだそうでございますが、なんだかなぁ。令和の子が歌いつないでいないように思われます。選ぶ人を選び間違えているような気が致しますの。19世紀の「仰げば尊し」から始まり、安田姉妹が歌う童謡なども多く選んでいるようですが、そりゃ、親子で歌える歌がいっぱいあれば、家庭内で無理心中をするような事件も起きませんものね。でもね、今は、学校の先生は厚生年金ですが、以前の共済年金分が上乗せしてございますんで、私の独断と偏見ですが、社会の苦楽のどこまでご存知か。

 

で、この歌は、キャンプファイヤーの歌として作られたそうで、海辺でキャンプファイヤーを囲んで、肩組んで、みんなで揺れたんでしょうね。大型スクリーンに歌詞のテロップもございませんから、いちいち先唱して歌詞を教えるの、あれ、どうにかならんかねぇ。ああ、今は、うっかりキャンプファイヤーは出来ないんじゃございません? バーベキューの後始末も出来ない人間が多いですから。

 

「いつまでも絶えることなく友達でいよう」、そうね、出来ることならね。でも、一時、事情があって、途絶えるようなことがあっても友達なのが、本当の友達なんじゃない?

 

「空を飛ぶ鳥のように自由に生きる」つもりは分かるけれど、飛び続ける鳥の辛さを分かってあげましょう。

 

「信じ合う喜びを大切にしよう」、そうね、それは大事ね。でもね、日本は、マイナポータルすら、信じられないのよ、オレオレ詐欺だって還付金詐欺だってあるんだから、簡単に人を信じちゃいけません。

 

ほらね、私って、どうしてもネクロフィラスな方向に行く癖があるのよ、それが十分分かっているから、勉強して、自ら選んで、アガペーという神を求める生き方をしているのです。飛んでも8分、賤しい私が清廉潔白なわけがなし、どっかでバランスをとって、何とか生きているのですよ。

 

そうねぇ、幸い、子どもの頃から、いっぱい母と一緒に歌を歌いました。童謡「ぞうさん」のような親子でした。父も歌が好きでした。鶴田浩二になったつもりで歌ってました。母が認知症になってからは、「カチューシャの唄」も「庭の千草」も、思い出せる限り歌いました。母は、私達子どもが寝る支度を済ませて「おやすみなさい」と挨拶すると、必ず、「いい夢を見なさい」と言って、部屋に送りました。

 

いい夢、う~ん、それが今日と明日の間にあるものなのね、多分。