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歌っているのは、ケイティ・ペリー。先日、AIのそっくりさんの投稿で話題になった人でございます。

 

 

私、この頃、考えますの。確か、コロナ禍の時、私はブログに盛んに書きましたことは、パンデミックになったからには、利他主義でみんなで支え合わなくてはならないということ。しかしながら、コロナ禍の悲しみも癒えぬうちにポピュリズムのほうが元気に動き出してしまった世界。利他主義なんて、いくらでも都合の良い理由が作れるという証拠に使われたことが、私はとっても悲しい。

 

よくもまあ、そんなに自分に都合の良い解釈が出来ること。加えて、安全なはずの日本で、お金がないことで犯罪が生まれたり、人の欲が犯罪に向かわせたり、ひと言で、生き方の問題とは言いがたいほど、人そのものが荒くなってしまった気が致します。

 

でも、自分はいったいどうだろうかとも思いました。プーチンやネタニヤフのように自分を正当化して他人をいじめてはいないけれど、例えば、この苦しみはいつか良くなるための試練だと自分に言い聞かせるとか、その場をなんとか切り抜けたい一心で試行錯誤しているではないか。ごまかそうにもごまかせないくせに、自分は老いない、しょぼくれない、ボケない、などの努力をしているなんていうような自負なら、まだ可愛いものだけれど。

 

この頃、ラインなどのメールで、文章の終わりに〇が付いているだけでハラスメントになるらしい。「早くして下さい!」よりも、「はやくしてください。」のほうがパワハラになるらしい。う~ん、そう感じる人は、自分の読解力にも文章力にも、何の期待も成果もないのだから、もう、電話にしなさい。コロナも5類になったのだから、出かけて行って、会って話なさい。

 

まだ人類は学ぶことが多過ぎるようでございます。