フジ子・ヘミングがお亡くなりになったそうで~~~。

 

もう、20年も前のことですが、友人の季節外れのコスモスちゃんの会社で、一般のヘルパーさんを派遣出来ない自費の利用者のところに、ナルちゃん行っといてと、時々、行かされておりました。若年性アルツハイマーの女性で、家族の帰りが遅い時に夕食を作って一緒に食べて帰るという介護メニューだったんですが、食事中、CDをかけて下さいという家族の希望で、ラジカセの周りにびっしりフジ子・ヘミングのCDが並んでいて、片っ端からかけて、利用者とご一緒に聴いておりました。

 

その部屋は、ほぼ正方形に近い間取りだったので、音響効果がものすごく、誰でも知っているようなクラシック音楽が、こんなにも特別に聴こえるものかしらと、感服致しました。

 

 

 

小学校の音楽の時間、音楽の先生が、いろいろレコードを聴かせて、カラヤンの「運命」が一番短いと言ったのが、いつも私の頭の中にあって、ピアニストでも、なんでこんなにゆっくりなのか、逆に、なんて速いんだということに、その度、ビックリしておりました。

 

2003年だとのことですが、菅野美穂がフジ子の役を演じたテレビドラマ「フジ子・ヘミングの軌跡」で、聴力が失われていたことを知りました。十朱幸代がお母様の役で、黒幕の向こうで行われているコンクールで、音色が変わると、あ、フジ子が弾いていると分かるの。それほど、音色がその人の地声のように独特でいらしたのね。同じピアノで、どうしてそこまで音が違うか、才能と練習のたまものでしょう。

 

ドラマで、バーンスタインとのリサイタルが決まった直後、風邪をこじらせて聞こえていたほうの耳まで聞こえなくなってしまって、大きなチャンスを台無しにしたのだけれど、その前に、バーンスタインが会ってもいいと言てくれた時に、フィジカル、メンタルなど、あらゆる理由で、会いに行かなかったことがあったんですのね。私、その時のフジ子の気持ちが、とっても良く分かるんです。そういう時の自分をひと言で済ませれば、ただの意気地なしなのですが。

 

今なら、死ぬ前に一度会っとこうかで済むのですが、それから、私、フジ子・ヘミングという人が好きになりました。

 

 

 

クラシック業界の不況が続く時、3か月で30万枚を売り上げた快挙。チャンスって、どこでどのようにやって来るものか分かりませんわね。遅咲きだの奇跡だの言われても、何もかも神様の設計図上のことですから。

 

菅野美穂のドラマによると、お母様がお亡くなりになって帰国して、広いおうちにいたら、演劇関係の人がロケに貸して欲しいということになって、ピアニスト?ということになって、CDデビューにまでつながった。

 

生きているうちに、目のある人が見つけてくれて良かったわね。天才は天才を知る。ピアニストは作品を残すって、後からテープが見つかったってどうしようもないものね。多分、こういう弾き方をする人が日本にいなかったから、才能にも話題にも、火が付いたということなのね。

 

 

 

いろいろ聴いて、魂が似ているのかしら、この人とパガニーニは、いい相性かも知れないと思いました。

 

猫ちゃんもたくさんお救いになりました。ある時期は、餌代のために弾いていた?

 

とても楽しく見識を深めることが出来ました。謹んで、心よりお悔やみ申します。