この頃、お盆は、天ぷらを揚げただけで、お迎えしたつもりになっております。なんだか、呼ばなくても来てくれるような気がして。両親はもちろんですが、特に、遠いお墓の友人などは、早々来ては、私の部屋の掃除をしてくれます、もちろん、私の身体を通してですが、自分ならしないようなやり方で、お片付けが進んでおります。

 

 

昨日、GHQが急いで戦犯を割り出す作業をしたと書きましたが、案外、間違いもございまして、同じ苗字の違う人とか、もうちょっと調査したほうが良かったかも知れませんわね。海外でも戦犯に挙げられた外国人の人物がおりますが、それはどなたも、結果、とり下げられております。

 

そのひとりがビルマのアウンサン。アウンサンスーチーのお父様。

 

戦前、ビルマはイギリスの植民地で、アウンサンは反対活動をしておりました。地理的に、インドを中心として活動家達が集う場があったようで、インド国民会議という、今も強力な政治組織になっておりますが、そういうところで連絡を取り合っていたようでございます。そんな活動がイギリスの官憲に睨まれて、中国のアモイに逃げたら、日中戦争でアモイが日本の統治になって、鈴木敬司大佐に拾われて、日本で、陸軍中野学校で訓練を受け、後にビルマ建国を志す「三十人の志士」の基礎を作ります。

 

多分、私が思いますのに、鈴木敬司っていう人は、きっといい人だったんだと思うのよ。戦後、当然、BC戦犯になるんだけれど、アウンサンが嘆願して、却下されております。鈴木敬司は、日本のアラビアのロレンスと言われているくらい長けた人で、南方一帯の特務機関長で、ビルマ国の建立に貢献致しました。

 

で、日本からの資金援助でビルマ国民軍はイギリスと戦っていたんだけれど、どうしたことでしょうね、やっぱり、日本の占領意識を感じたのかしら、インパール作戦の失敗を機に、共産党とも組み、イギリス、連合軍に寝返ります。で、イギリスも始めはいいようなことだったんだけれど、戦後になっても独立はさせませんでした。戦後の処理にやって来たイギリスのマウントバッテン伯爵が独立の準備をしてくれたんですが、その日を待つことなく、暗殺されます。

 

暗殺について、ビルマ内部の親日家による権力争いだったとも、いや、イギリスにことごとく憎まれていたんだとも、言われておりますが、多分、アウンサンはピュアな人だったんだと存じます。だから、イギリスと日本の間で揺れ動いた~~~。今となっては、卑怯だとも思いませんわよ、ま、もう少し、お嬢さんのスーチーは、日本に愛想良くしたっていいのにとは思いますが、ミャンマーの皆様は、あの鈴木敬司に勲章をあげてます。

 

毎年、私、申し上げておりあ増すが、進駐軍が日本の教会まで破壊して申し訳ないと、援助を申し出た時、日本のカトリックは、これはみんな同じだからと、断りました。その話を聞きつけた同じ敗戦国のケルン大聖堂の信者達が、日本以上に日々のパンにも困っていた状態なのに、ごミサの献金で、日本のカトリック教会に送金をしてくれ、そのお金は、今も続いており、数年前のイグナチオ教会の修復にも使われました。ドイツと日本は、同じ敗戦の気持ちを分かち合いました。

 

敗戦から立ち直った日本は、東京オリンピックも済んだ頃、ドイツにお返しをと思いましたら、ドイツは民主主義の一等国でございまして、そのお金は他の困っているところへと言ってくれたので、矢が向けられたのが、ミャンマーでございました。その時も、軍によって教会がめちゃめちゃに破壊されておりましたの。

 

今、軍事クーデターの惨事のニュースで、時々、日本人シスターが映っているのをご覧になることがあると存じますが、お金だけでなく、しっかり尽力も尽くそうと派遣されて行っておられるの。何かにつけ、私達は、今も、ミャンマーのための献金をごミサの中で集めます。もちろん、ウクライナのためにも。

 

こうしてみると、やっぱり、ミャンマーを最初の支援国に選んだのは、意味があったのだと、つくづく実感し、私も信仰を深めることが出来ました。今も軍による混乱が続いておりますが、今は例の国、その費用を出している大国があるからでございましょう。罪なことでございます。コロナの頃、日本財団がロヒンギャの皆様へのワクチンを調達するのに、とってもご苦労なさいました。まだまだ、やることはあるわね。