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邦題「リヨン駅」。リヨン駅はパリの駅で、フランスのリヨン市のことではございません。古くから「映え」する駅でして、オードリー・ヘップバーンの「昼下がりの情事」にも出て来ました。

 

ここからイタリア行きのTGVが出ております。日本のゴールデンウィークみたいに、季節の先取りをして、イタリア旅行に出かけて、ゴンドラに乗ったり、ピサの斜塔を見たり、ヴェローナでロミオの真似をしたりしましょう、だから、リヨン駅の待ち合わせにタクシーで行くっていうような歌~~~、多分。

 

なにせ、パリとローマは陸続きですから。

 

 

ああ、弘子ちゃん、偉い! もう、自分で自分を褒めてやりたい。だって、着物を全部、引っ張り出して、風を入れたんだもん。土用だから。干す場所もないんで、たとう紙から出して、シワを直したり。たとう紙に袂の長さや合わせる帯を書いたり。そうなんです、私ってめんどくさい女でしてね、みんな袂の長さが違うの。

 

母は、箪笥の引き出しを開けただけでもいいんだからと言っておりましたが、出して見ないと、この頃、何を着ていなかったかも分からない。でも、ご時世ですわね、訪問着や綸子を着る機会がめっきりなくなりました。だから、私、意地でも、着て歩いてやろうと思っているのよ。で、これは本当に着ないなと思ったものは、年内をメドに頑張って縫って、じゃんじゃん洋服に作り替えてしまおうと、いらない洋服のほうをいっぱい捨てました。でも、まだある~~~。

 

この間の「徹子の部屋」で、水谷八重子が初代の最後の舞台で、立ったり座ったりの役で、お座布団を出したり、それもわざわざしなくてもいいのに裏返したりという役で、日本人って、なんてめんどくさいのかしらとおっしゃってました。お若い時なら何でも出来ましょうが、年を取って来ると、その役がどれだけ大変だったか、出たくないっていうのを無理やり出させたけれど、その大変さが分かったと。

 

新派だから、そういう所作が、いちいち演技の意味を持っておりますが、本当に、日本人のやっていたことって、筋力がいりますわ~~~。昔の人は、よくもまあ、膝がもったと思いますもの。ああ、私、この間の粗大ゴミで、うちのお座布団を全部捨てました。第一、もう、お座布団を敷いてまでお迎えするお客もおりゃせんし。

 

こんな感じで、日本人の実にめんどい文化が面取りのように削られて薄れて行くのは、仕方がないことなのかしら。でも、知識として持ち続けて欲しいけれど。

 

水谷八重子といえばねぇ、バブルの頃だったと存じますが、いいかげん、そんな年じゃないと、総絞りの大振袖の袂を切って、帯になさって、お誂えをこしらえたのをお召しになっていたの。私、今も、目に残っておりますわ~~~。私も柄の分かれた大振りを持ってますが、袂を切る勇気がございません。ああ、出来たら、また、あの本振袖を着たい。← そんなことしたら、どっかに連れてかれちゃうかしら。いや、坂本冬美だって~~~。