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以前はあったと思いましたのに、今、YouTubeには、映画「また逢う日まで」の解説をしているものすごい日本語しかございませんでした。このガラス越しの接吻は、世界的に評価が高く、アラン・ドロンとロミー・シュナイダーのラブシーンにも使われました。

 

 

今井正はマルクス主義にかぶれて特高に追われる戦前を過ごし、戦後はGHQに民主主義啓蒙映画を作るように言われ、映画「青い山脈」のヒット後、日本のネオ・リアリズムを映画に映し出した監督。私は、「米」という映画が大好きで、先日、方角が良かったので、霞ケ浦までお米と鰻を求めて、温泉に入って参りました。

 

この「また逢う日まで」は、脚本が水木洋子、私が日本の脚本家の中でNO1に挙げる方。こんなに根気強く書く人はおりません。成瀬巳喜男作品の「浮雲」の脚本なんか、あたしゃ、100万積まれたって書きたかないですわね、500万だって、あんな駒割の根気はない、1000万積まれたって、う~ん、1000万なら努力します。そうやって、今井正でなけりゃ撮れない「ひめゆりの塔」の脚本も書きました。

 

ロマン・ロランは、トルストイの大ファンでしてね、「戦争と平和」を熟読してトルストイと文通までした方。それで平和主義者になって、ファシストに反対して、ムッソリーニを非難してこけおろしましたが、私ねぇ、ノーベル文学賞をお取りになった方にこんなこと申し上げてなんなんですが、何でも飛びつく人でねぇ、トルストイ主義に反ファシスト、日本の満州進出も非難して、ガンジーを支持して、共産主義に傾いて行くまではいいのですが、さすがにヒトラーにはもの言えず、ドイツとソ連との独ソ不可侵条約で、トーンダウンして行きました。日本の知識人にファンは多いけれど、私は知識人じゃないみたい。

 

そのあたり、アンドレイ・ジッドも共産主義傾向になるんだけれど、スターリンになったら、スターリン体制を批判し続け、反ナチの姿勢も貫きました。でもねぇ、また、こういうノーベル文学賞を貰った人にこんなこと申し上げてもなんなんですが、考えられる美とは別に、あなたのどこに希望を持てと言うのか、今もまだそうなのかしら、ローマ教皇庁では、ジッドの作品はすべて禁書になりました。本当に、ノーベル文学賞って、どこに価値を求めます~?

 

ロマン・ロランとアンドレイ・ジッドを共産主義思想で結ぶマキシム・ゴーリキーが、いわゆるフランスという西側諸国の人とは違って、レーニンにとっても可愛がられ、スターリンの時代になっても、広告塔としてスターリンに招かれてロシアで暮らし、挙句の果ては、猜疑心の強いスターリンのすることですから、きっと毒殺されたんでしょうか、スターリンに「盲従」していたというレッテルが、ソ連崩壊後には芸術の汚点にまでなりました。

 

だから、共産主義が悪い訳じゃない、あんなに広い大地でひもじい生活をしていたロシア人が、富の分配を求めるのは、ひとつの民主主義への目覚めでもあったはずですが、貧民や労働者が社会の生態系の頂点にいるうちは、ひとりの人間としての善良な主義主張として美しいユートピアであっても、ひとりの権力者が自己満足の野心を抱いて独裁者になった時、すでに革命は終わるのです。「いつの時代も、革命は始まりだけが美しい。成澤弘子の詩より」。

 

そして、社会を我がものにするために、勝手に情報統制が敷かれた時、プーチンや習近平が、次から次に、何人だって、雨後の竹の子のように単純で簡単な存在感として、この世に出て来ることでしょう。

 

私は、20代の時に観た、劇団「民藝」の「どん底」で、初めて滝沢修のすごさを知りました。

 

YouTubeには、今、東京バージョンのこれしかありませんでしたが。

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