ミディアム(霊媒)。
良く言えば橋渡し・架け橋。
悪く言えば、板挟み!
全部わかってしまうと、伝えることと伝えないことを選別する責任が生じます。
敏感なだけでなく、その辺を自分の中で巧く処理出来るのが、良いミディアムなのだと思います。
これが、私には非常に難しく感じられます。
こんなことがありました。
こちらの世界に残された方が、
あちらの世界へ逝かれた方のその時の気持ち(行動の理由)を知りたがって質問され、
私にはそのからくりが全部手に取るようにわかったのですが(言葉じゃないのでドバっと一瞬で伝わってくる)、それをあちらの世界の方が「そうなんだけど、今そのこと言わないで」って言う。
「なぜ?」と訊くと
「今それを言ってしまうと、それが“自分のせいだ”と捉えられてしまうから(ちがうのに)。この人(生きている方)はそういう思考回路をするし、その思い込みが一旦始まったら、もうほぐすことは難しいんです。自分は実際そういうところは怖かった。そういうところが怖かったのは確かだけれど、でもそれが、離れた理由ではないんです。それを誤解してほしくないのです。かわいそうだから。」と。
私「でもこの方は今、そこ(あなたが黙って去った理由)がわからないから、悩んで苦しんでここに来られたのですよ。そこは解消してあげないと、膠着したまま何にもなりませんよ?それはそれで気の毒なのではありませんか?」
平たく言って、「あなたそれ、勝手だよね?」っと、私の意見として、亡くなられた方に言いたいくらいなわけです。言いませんが、なにせ意識の世界なので、言葉にして言わなくても伝わってしまっていることでしょう。
もう、生きている方と同じなのです。こう言っちゃ何ですが、「亡くなりたてほやほや」の魂って、肉体を手放した分軽いことは軽いのですが、まだ考え方の癖なんかは、全然、生きておられた時の癖がそのまんまなのです。
しばらくするとどんどんこだわりが無くなって(体があった頃の感覚や考え方を忘れていく)フワッと軽く空気のような透明な意識になるようですが(同じ方を亡くなられた3年後まで診たことがありますが、高度の高いところの空気のように、かなり薄い、さらっとしたかんじに変化しています。話し方、言うことや考え方や反応が。)
話が逸れましたが、
結局その方の場合は、「あなたの怖れている誤解を招かないように注意して、“誤解を怖れている”という下りまで全部ちゃんと説明して伝えるから、何をどうしてそうなったのか、お伝えしてもいいですか?」とあちらの世界の方にお訊きし、しぶしぶというか、仕方ない、という感じではありましたが頷かれたので、それにあちらの世界の方は、私が相談者さまに向かって話す様子も全部逐一そばで見ていて、違うときはちゃんとストップをかけてくださるので、大丈夫とお互い信用して、お伝えをしました。相談者さまは取り乱すことなく、その後の聞き取りによっても、ご自分を責めることもなく、ご納得頂けたようでした。
そしてこの、相談者さまにお伝えする前の段階までの、あちらの方とのやり取りは、全部私の意識の中でやっているので、こちらの世界の相談者さまから見ると、ずっとただ黙っているように見えます。実はその間(ま)というのが、私にはものすごく嫌(ストレス)なのです。目の前の方を不安がらせないために一応「今お話してるから待ってくださいね」とはお断りするのですが、実を言えば、いちいちその断りの言葉を発したり、目線が気になるのが、気が散ってものすごくストレスになります。(まあしょうがないのですが。)
そんなにまでして暫し黙って(言葉でなく意識のやり取りなので、夢を見ているときのように、実際にかかっている時間は、やり取りの内容の割にはすごく短いのです、とはいえ、ある程度黙りはするわけで)いたにもかかわらず、あちらの世界の方の意見を丸呑み鵜呑みに受け入れて
「言いたくないそうです」
だなんて、
そんなのありかよ、って、なりますよね。
事実を、伝えられた内容そのものを、私の意見で染めたり、曲げてお伝えするのなんて、そんなことをしたらお話にならない、それは言語道断ですが、
それと、
あちらの意見だけを丸呑み鵜呑みにして通す、というのとは、
違うことであると思っています。
亡くなられた方は神や仏なわけではありません(「仏さん」なんて言い方はこの世ではするけれども)。そんなに急に偉くなって魂が出世するわけではありません。魂の修行は、悟りの域に入るまでは、肉体を持っていようがいまいが、延々続いていくのです。学んで、波動の段階を上がっていくのです。
だから、「亡くなりたてほやほや」(1~2年、まぁ3年?くらいのうちはこう呼んで良いと思います)の方のお伝え下さることを、神のお告げみたいに捉えるのは違うと思います。
生きている二人と同じ。
その二つの魂同士の、やり取り。交流。会話。
誰もが、「意識には境はない」「交流は言葉だけに頼らなくても出来る」ということを、思い出していたならば、こんな私みたいな他人を介さなくたって、あの世にいようが、お相手とは交流できるのです。
忘れてしまっているだけなのです。人間だけかもしれません。動物はこだわりがないから、自我の壁が人間よりも薄いから、まだこういう交流のしかたができます。
テレパシーですね。
人間も、自我の意識やこだわりをなくしたら、テレパシーなんてできます。
鋭い人、今でもいっぱいいますよね。
私だってまだまだ。気をつけて磨いていなければすぐ忘れます。
自我にとらわれたら忘れます。
自我にとらわれないこと、自分の都合とか自分の保身とか自分の悩みなんかに悩んだら、すぐに濁って見えなくなります。
そういうものを考えない世界、考えない状態に、ミディアムの時は身を置きます。
自ではなく、他のために、自ではないところの幸せに集中して無我夢中になるような感覚です。
二人が直接交流するというのは、世界の隔たりのためではなく、冷静さを保つという点において、難しいかもしれないし、人を介してワンクッション置くほうが冷静に話し合える、ということはあるのかもしれませんが(弁護士や保険屋さんみたいなものかも。)、
できれば、できれば、お二人が直接話し合うほうが
ツーカーでスムーズなんだけど
まあ、ワンクッションが必要なこともあるのかぁ…
ミディアム(霊媒)は
良く言えば「架け橋」
悪く言えば「板挟み」なのです。
あの世とこの世の
死によって隔てられた二人の
そして
ミディアム自身の、エゴとクリアーさの、
見えるものと見えないものとの
板挟みなのです。
