コントラスト(対極)

コントラストによる強調を利用して、対極にあるものを印象的に学ぶ

それがこの世の主なる仕組みだとしたら

なんて私達は天の邪鬼(あまのじゃく)なんだろう!!

天の国、この世に来る前の、魂だけだった頃の世界は

さぞ平和で、でも退屈だったことだろう。

わがままにも

その退屈に飽きて

多少辛くても大変でも「面白い」世界を味わいたいと、神様に志願して

私達はこの世に来たのだそう

顕在意識では覚えてないけれど

魂(深層意識)はそれを覚えているそうで

思い出してしまったら、せっかくの体験(実は幻だけど)をリアルに味わうことが出来ないから

真剣に味わうためには忘れていなければならないから

思い出さないように出来ているらしい。

けれども最近

地球の進化が本来のペースに間に合わないどころか

地球の波動が(エゴや悪感情によって歪められて)著しく下がってしまうことが、宇宙や時空元全体にとって非常に困ることだからと

本来の生まれてきた目的を、忘れていずに敢えて覚えていたり、思い出す人が多いのだとか。

自分が思い出したのかどうかも
意識できないくらい自然に
自然に、本来の進化の道を、意識することなく、進んでいるのかもしれないし

ほんとうに思い出してもおらず、わがままで生まれたまんまの、進化をサボった状態で惰眠を貪るみたいにして、真っ逆さまに波動の奈落を落ちているのかもしれないし

どっちにしたって

最初から全ては決まっていて

落ちるのも上がるのも必要の通りで

全ては自然に起こっているにしか過ぎないのかもしれない

いずれにせよ
証明することなんか絶対に出来ないんだから

どこまで行ったって

自分がそう思うならそうなんだろうし

自分の思うようでしかないんだから

どこまで行ったって
自分を含めた皆のそれぞれの「感性」でしかないんだから

客観的に証明することなんか絶対に出来ないんだから


もうそんなこと考えたり

方法を画策したり

自分の思い付きを、さも唯一無二の真理だ、みたいにして人に授けたり伝えたりなんかしないで、また他人のそれを鵜呑みになんかしていないで

自由に  好きに  感じるまんまに

ゆらゆら好きに

生きてみたらいいんだ。

何にも心配ない

心配なんか幻

すごくリアルに見えるように感じる時もあるけど

すごくリアルに感じるだけで、それでもそれは、幻なんだろう。

今こうして書いている私の話だって

読んだ人が信じるのならそうなんだろうし

信じないのならただの仮定に過ぎない。

なんだってそうだ。

どこまでリアルに信じるか

その度合いだけなんだろう。

世界は、鏡で、入れ子で、コントラストで、幻で、信じる世界がそのままその人の現実で
どこにも実体なんか無い。

拠り所が無くて怖いような
自由で楽しいような

どうせどっちでもあるのなら

好きな方を採用しようよ。

驚くよね。これも全て幻。見え方が変わるね。