思いがけず、このブログを目にしている方も居られるかもしれません。
ご縁あって繋がれたことを、深く感謝します。
最後のところ、カフェで読んでいたのにボロボロボロボロ涙が出てしまって(よくよく考えるとたいした内容じゃない、いやたいした内容かもしれないけれど今さらもう耳にタコができるくらい、常識というくらい、しょっちゅう聞いた話なはず。なのに、何に共鳴したのか、波動のなせる技か、涙が止まらなくて恥ずかしくて困りました( A∀;))
今やスピリットダンスや諸々のイベントのスタッフ等で度々お会させて頂いている山川ご夫妻まで(エピソードとしてではあるけれども)登場しちゃって
なんなのもう、どんだけなの、と
どれだけ世界は繋がり始めたの、と
どれだけ皆、一丸となって気づいて、愛と光の方へ、気づいた方へ、舵を切らなきゃいけない時になってるのと
私にまで動けなんてメッセージ来るようじゃもうほんとに世も末だよと(…若干、言葉のあやが(^_^;)。私の価値が「世も末レベル」なのではなくて、こんな小さな無名の末端の一主婦までが意識改革に乗り出さなくては地球がダメになるよなんて、そんなに地球は切迫してるのかってこと。昔なら、救世主が誰か一人現れればどうにかなった。今は「全員が救世主」みたいな時代、一人のボスに着いていく時代(魚座の時代)は終わっていて、多様性と粒揃いとシェアの時代(水瓶座の時代)なんだね、という意味。)
でも決心するのは今しかないんだよ、いくらメッセージなんか来たって、動くか動かないかは本人自身にかかってるんだぞと
メッセージと、感動と、切迫と、真の愛みたいなエネルギー?が、一度にどっと押し寄せて
いろんな意味でハートから震えて、涙が出た。
家に帰ってテレビニュースをつけたら
アメリカが、あわやイランと戦争になるところだった、みたいな。
まじでリアルに
ホットですれすれな状態だった。
ほんとに、「世も末」ギリギリだったわけです!
今回は撤回されて良かった。
でも、アメリカとイランのわだかまりは解決していないようです。
それはそうと
全部、自分で感じたまんまの
自分で感じたまんま、生きていくしか、ほんとうにない時代らしく。
なにもPlanet from Nebulaや、誰か権威みたいなひとが書いたり話したことだから、ではなく
(人気があって有名な権威的な方であっても、全然話がピンと来ない方も居るもの)、
この人の話を鵜呑みにしていい客観的証拠なんか一個も無いけれども、
「これはこの通りだ」と「知ってる」ような感覚がありました。この本を読んでいる間じゅう。なんとなくの感覚でしかありませんが。
だから、回りのほとんどの人が〇〇だと言ったとしても、私にはどうもそうとは思えないことも、実は実際多々あるのだけれど、その異端な考え方を、周りに主張したり、周りに発して異を唱えてみようとか、こちらになびかせようとか、そういう主張こそしなくてもいいけど、自分は自分の思うことを、信じて貫こうと思いました。
信じてないのに人になびいて、果たして私、幸せかな?っと、思ってしまいました。
安全である幸せと、
実は自分を偽って納得していないことを知っている不幸せ。
天秤にかけてみたら。
この本のおかげで、
今までさんざん聞いてきたはずなのに、私の中でいつのまにか、すっかりなおざりになっていた「ワクワクすることを追っていく」感覚が、再び目を覚ましました。
ああなんで忘れてしまっていたんだろう、
おおそうだ、
超絶疑い深い私が、ちょっと大いに疑問に思うこと(人)にぶち当たって、すっかり心が冷めてしまったのでした。
「何言ってんの?ばかじゃないの?あんまりだよ、いくらなんでもそれはどうかと思う。」これを言い出したとたん、私はゾーンから出てしまう。自分の足で立ってしっかり考えることも大切だけど、それと批判やジャッジするということとは、全然別の話です。おかしいな、思ったとしても、私とは違うだけだ、として、多様性のひとつとして「はあそうですか。そういうのもあるかもしれませんね。」で、棲み分けて認めておけば良いのです。なのに、まるでそいつを否定して潰しておかなければ私が潰されるとでもいうかのような、要らぬ怖れなのか?批判したくなる罠がある。
完璧主義を発動したとき、そして人を批判(判断、感想を持つ、ジャッジ)し始めた時、要らぬ怖れの妄想を抱いた時、私はゾーンから出てしまう。
そして、身近なことや小さいものに「かわいいいーーー(´・∀・)」とか言い出したとき*、あるいは些細なことに感謝をし出したとき、再びゾーンに戻り始める。本来の調和した状態に、「アライメント良」の状態に、戻ります。
これに気づいていることが大事だよと
どういう時に自分はワクワクの「ゾーンに入って」いるのか、あるいはどういう時に「ゾーンの外に出て」しまうのか
それをよくよく「モニターして」「観察して」居れ、と
『あの世とのおしゃべり』の中で、ネブランという、この著者の”高次のガイド“が何度も伝えてくれています。
これを教わったのが私にとって、今回の大変大きな収穫でした。
(注*身近なことや小さいものに「かわいいいーーー(´・∀・)」と言い出したとき、再びゾーンに戻り始める。*これは私の場合。これは私の「月星座」の性質に当たることになります。先に性質に気づいて、後で考えてみたら「なんだ、これは私の月星座(その人の基本的性格や居心地の好さを表す)じゃないか」と気がついた。誰しも「自分を見失ったら月星座のことをやると良い」のかもしれません。ご自身のホロスコープ、無料サイトがあるので調べてみてね)
『あの世とのおしゃべり』
この本の終わりに
「これからは母性がとても大切になる時代だ」と書いた箇所があり、印象的でした。
読み終わって、カフェを出て、カフェに隣接した本屋さんで、シャーリーマクレーンの『カミーノ』を探したけれど無くて(2001年の本。古い。Amazonでは中古でめちゃ値上がりしているくらいでした。)、
何軒か本屋さんをはしごするうち、TSUTAYAで諦めて、じゃあもう違うことでとりあえず「ワクワクゾーン」にだけは入っとこう、と思って
思い付くまま適当に、ワクワクに従って、面白そうな漫画を借りてみたら(近頃マンガをよく読むようになった)
これが思いがけずめちゃめちゃ面白くて。
『極主夫道・1巻~3巻』
おおのこうすけ/新潮社
第1巻 2018年8月15日初版/2018年12月5日第5刷
https://booklive.jp/product/index/title_id/540285/vol_no/001ふざけてるかもしれないし可笑しいけれど、
その中に優しさがあるのです。
母性なのですよ。
Planet from Nebula、高次の存在、バシャール、ネブラン、エイブラハム
そんな人たちが伝えてくれたことに感動して共感してハート震えて涙出た、
なんて言ったら
多くの人は、これを真面目なこととして捉えるかもしれない、
このあとは当然、ちゃんと真面目に、真顔でやることが続くのだと、思うかもしれない。
なんたって、尊い尊い、高次の存在との絡みなのだから、って。
こんなくだらないふざけた漫画を挙げて「母性が描かれてる」なんて言ったら、しかもアラフィフの主婦が、そんなこと言ったら、
まじ鼻で笑われる、馬鹿にされる、
いや相手にもされないだろう。
でも、これが私なんだからしょうがない。
こういう些細なくだらないところに
見いだしてしまうんだからしょうがない。
ちゃんとしたきちんとした綺麗で真面目な女の子は、こんな漫画手にも取らないだろう。
(作者のおおのさん及び新潮社ごめんなさい(笑)なんか失礼ww。でもそうでしょ?)
スピリチュアルに理解があるような顔したアラフィフの女性は、真面目でなければいけないんだろうか
大人の女性は、ふざけちゃいけない、ふざけるもんじゃない、ふざけたらおかしい、変なのかもしれない。こんな漫画読んでたら変態なのかもしれない。
でも
この漫画の中には可愛さ、優しさ、母性があると
私は感じてしまうんだからしょうがない。
美味しい家庭の手料理を食べて、懐かしい母の味だと、目に涙が滲むおじさん、
これから寒くなるからと、手に手袋を嵌めてもらって、思いがけず、小さい頃の母親の思い出を思い出して泣き崩れるヤクザの兄貴。
馬鹿ですか?
絵もエピソードもストーリーもふざけてるけど、
かわいいじゃないですか、可哀想じゃないですか、ほろりとするじゃないですか。
人間らしい温かみじゃないですか。
こんな私でも、もし、この題名『極主夫道』で検索して、この記事が引っ掛かって読む羽目になったおじさんや兄さんやその道の?方とか、居られたら
そういう、まぁ云うたら「スピリチュアルとは縁の無い」(?)新しいジャンルの人達が
シャーリーマクレーンの『アウト・オン・ア・リム』や、Planet from Nebulaの『あの世とのおしゃべり』や、バシャールやエイブラハムについてのブログや本を、読んでみようなんて、きっかけに、なるかもわからない。
そうしたら、その人の人生と一緒に、地球が変わる。
こんなバカなおばさんが一人ここに居たことで
出会うはずのなかった世界に
誰かが出会うかもしれない。
それはいいことだと思います(^-^)。
だから、いいのです。
皆が、変でもなんでも、一回好きにしてみればいいんだ。
新しい時代が、地球が新しい道を選択する時代が、来たのだから。
笑いの次元上昇。
是非❤️
『極主夫道・1巻~3巻』
おおのこうすけ/新潮社
第1巻 2018年8月15日初版/2018年12月5日第5刷
https://booklive.jp/product/index/title_id/540285/vol_no/001