どんどんいろんなことが起こって、とても書ききれないので省略。
皆、それぞれの日々に、それぞれの中に、体験として、積み重なっていくだけ。それは宇宙バンク、宇宙の巨大なデータバンクに、全て貯蔵されると同時に、全て既に在る。ここでも、過去も未来も同時に存在。「無い」から「在る」へ変わるのではなく、どちらの状態も、常に既に、同時に存在するのです。もやもやっとしかお伝えできませんが(もやもやっとしたものだから。)、なんとなく、わかりますよね?
「在る」は途端に、同時に、「無い」。
これだけ覚えておけば、いずれわかります。
ある時ふっと、「アレッ?ああ、当たり前だったわ(笑)」って、なります。
力いれて理解しようとしなくても、いろんなことに感謝して受け流して生きていくうちに、自然にいつかそうなります、いえ、「なる」のではなく、既に今もそうであったことを、ある時突然、思い出します。そして「なんで忘れていたんだろう?」って、なります。
よく、夢を見ながら眠っていたところを朝起きて、しばらく夢と現実がごっちゃになってること、ありませんか?
正気に(この世の現実に)返ってよく考えてみたら、絶対数そんなわけないようなことを、夢の中ではマジで信じていたりします。
「何かわからないけど夢の中ではいつのまにかそういうことになっていた」という、ストーリーの前提みたいなものがあったりして、それは現実に帰ってみると、絶対そんなことあるわけないようなことだったりします。
それと似たような感じです。
「在ると無いはイコールで、真逆の状態だけど同時に存在できる。」っということは。
些細なことでも全てに、感謝(「ありがとう」だけど、「謝るような気持ちを感じている」こと)していると、
感謝すればするほど
見えない何者かが、Something Greatが、神様が、いろんな人や物の口を借りて、大切なことを教えてくれます。
佳く生きるための、気分佳く在るための、調和して、調和の中で生きるための、知恵や感覚を。
見えない何かが、誰かの口を借りて、何かの姿を借りて、教えてくれます。
人だったり、桜だったり、犬だったり、猫だったり鳥だったり。
ふと目に入る新聞や広告の文字だったり、どこからか流れてきたラジオの声や歌だったり。
昨日はとっても大きな、大切な知恵を、大好きなファイブリズム(ダンス・ミラクル)のサーシャ先生が教えて下さいました。
「(自分の体と感覚に任せて自由に踊る)ダンスは、分析するものではなく、味わうもの。もしダンスの間、心を空っぽにしている時に、何か浮かんできたとしても、ただ流す。囚われたり振り回されることなく、蓋をしてしまうのでもなく、ただ流す。」
Go with a flow.
これ、a flowか the flow か、よく聞き取れませんが、どっちでもいいと思います。
「いろんな “流れ”(雰囲気)がこの世に在る中でたまたま“今あなたが感じた”流れ」ならa だし、大きな宇宙の中心に流れる“あの”感覚、Something Greatに沿った“あの”感覚、それに乗って行け、ということなのだったらtheだろうし。
だけどそもそも、Something Great、「中心」の在り様(ありよう)は、「All OK」、全てを受け入れている、否定がない、全てアリ、空(くう)、透明、決まりが無い、こうであるべきというのがない、空(くう)、中心には何もない。中心はスペース(空。間。)…という感じなのだから、“the” としたって、“a”とおんなじくらい、自由度、限定されていなさ加減は、変わらないと思います。
アラ~🌠
ちょっと難しげに?分析チックなっちゃった☆( ^∀^)
(言葉に書くから長くて面倒臭そうに見えるけど、全然サラッと、難しいことじゃないのよ~♪)
直そうとせず
矯正しようとするでもなく
否定もせず
肯定や称賛もせず
ただ眺める
ただ流す。
ああ、そうなんだなぁ、と
私は今、こういうふうに感じるんだなあ、と
他人事みたいに
映画か幻か夢か何か見てるみたいに
ふぅ~ん
あ、そう。
と
そうすれば
自己否定も起こらない
こんなことする必要ない
粗野で野蛮で未開なままで、散らかったままで居れ、という意味ではなく
いずれわかるんだ。
というより、知ってるんだ、本来。
いつか思い出すのだ。
文句とか否定とか証明とかする前に
やってみれ。
見てみれ。
そうだから。
いずれ、わかる。
大丈夫