ある人が告白した
その人に宿った「腫瘍細胞」さん(ガンなのかな?悪性かどうかは言わなかった)に
私は祈る機会を頂きました。
治って欲しいとか、治して欲しい、とは、
その人は言わなかった。
ただ、
自分にはやりたいことがある
使命だと思っている大事な用事がある
それを全うすることだけは、ちゃんと最後までしたい、と。
私も
その人の言うことがよくわかったような気がしたので
「そいつはいけねえや!是非とも治したるっ」
とか、そういう気負ったやかましい感じは止しにして、
ただ静かに
その子(腫瘍細胞さん)を、眺めてみた
というか、
声に、その子の様子に、そっと耳を澄ませてみた。
すると、こんなことが伝わってきた。
「僕(腫瘍)は多くの人から、出ていけとか消えろとか、疎んじられることが多い。でも、ぼくはそれはおかしいんじゃないか、矛盾しちゃいないか?って思う。だって、そういう「祈り」だか「念」を送って来る人達は、僕が宿っているこの人を、応援したいからそうしているんだろう?この人の言うことをよく理解して、賛同して応援するからこそ、この人の使命の全うにとってこの僕が邪魔だと思うからこそ「消えろ」とか「居なくなれ」とかこの僕に言うんだろう?でもそれって、矛盾だぜ?この人(僕が宿っているこの人)は、こう言っている。マイノリティも否定すべきじゃないって。障害者だとか害虫だとか、何を以てそういうのか?って。そりゃ君達の社会では、社会の運営(つったって誰かたまたま中心になったヤツの好みや言い分に過ぎないんだが)を阻害するようなもの、自分達にとって邪魔になるものは、害だとして排除する。でも、一見そういうものでも、見方と扱い方をちょっと変えると、その社会を活性化するカンフル剤になったりもするんだよ。そこに気づけば、あらゆる社会が幸せになるって。僕が宿っているこの人は、そういうことをずっと伝えている。それを応援しようっていうあなた達ファンが、この僕を、腫瘍だからって、この人の命の邪魔をするかもしれないからって、排除しようとするって、矛盾してないか?あなた達は本当に、この人の言ってること、受け入れて理解して実行する気があるの?そこをよく、考えてほしい。僕には僕の役割がある。僕が君たちの肉体にとってガンだからって(ていうか、本当は毒は僕が出してるんじゃない。受けとる側の、反射する側の、反応の問題なんだけど…そこはまた今度。)一概に一網打尽に僕たちを瞬時に抹殺と決めつけるのは、大いに違う、いやもったいない、学びのチャンスを自ら捨てていることになっているって、気づいてくれてもいいんじゃないかなって、僕は思ってる。」
これ、長いけど、1~2秒くらいでどばっと一気に受け取りました(伝わって来ました)。
それを、人に伝わるように、他の人にわかるように、若干苦労して(とはいえスルスル書けたけど、書くために必要な時間はある程度は費やしているわけで)、言葉にしたものです。
このくらい、言葉って、すごく限界や制限があるのです。この抵抗感、扱う私にとっては、痛いような苦しいような、何か、まどろっこしいのか、悔しいのか、よくわかりませんが、この「抵抗感」「摩擦」みたいなものに、涙が出ます。まるで自分がゴボウか何かになって、包丁の背で泥ごと皮をコソゲ取られているかのような、にがい、嫌な感じ(でもナニクソ!っと力が出るようなかんじ)がします。
これが嫌だから
言葉の限界を感じるのが嫌だから
最近、何度か書いてきましたが
沈黙したくなっていたのです。
言葉なんかもう扱いたくない、っと、思ったりしていたのです。
でも、今日
ちょっとこういうことがあって、
言葉や沈黙ということについて、わたしと同じように感じていた仲間に出会って、
思うに
それでも
痛いって解っていても
それでもそれを承知で
私は地球に生まれて来たんだと
その覚悟を思い出したというか
あらためて強く自覚したというか
覚悟みたいなものを
少し(?まだ抵抗するかwww往生際悪いぞワタシwwwwww)感じたのでした。
苦しくても
これは大事な事だと思った、
だったらやる。
手に入れたい果実があるのなら
危険を犯してでも
細い枝の先まで行かなければならない
これを一言で表す英語の表現が
アウト・オン・ア・リム
だったはずです。
(勝手に書いてしまって)ごめんなさい
(断りもなく書いてしまって)許してください
(でも、とてもとても大切なことに気づかせて下さいまして)ありがとうございます
(多くの人と共に)愛しています
道
どこへ続く

