自分で書いたはずのこの記事

遠い昔のような

遠い誰か別の知らない人が書いたような気さえする。


これ何?予言だったの?


過去の経験について書いたはずなんだけど…


これを書いた時には、その欠片も知らなかった人に

また出会って

そして好きになってしまった。

「(笑)」って付けたいけれど

何かそれは不謹慎な気がする。

(笑)でいいくらい、別に深刻な話じゃ全然ないんだけど、軽やかなもんなんだけど


もう二度と恋なんかしないと思っていたから

自分にあきれて

バカじゃないの?って思う。

でも毎日が楽しくてしょうがない🌻🏵️🌹🌺🐝



…いやこれは恋なんかじゃない。

占星術的な言い方で言い換えると、金星じゃない。月とか太陽っぽいことなんだ。(←これが一番しっくり来る良い表現だ。でも占星術知らない人にもわかるように更に翻訳すると)
つまり、
美意識とか恋じゃない。
居心地とか仲間意識とか生きざまみたいなことなんだ。


恋なんてそんなものはやっぱりもう、とうに終わったことだと思う。私の中では、恋なんていうものは、過去の文化だと思う。

でも、懐かしい青春の思い出がフィードバックしたみたいに

昔味わったことのある懐かしい味に再び出会ったみたいに、

この記事が、この歌が、

心に沁みて

センチメンタルになる。


天使は

私がこの世に生まれたときから、ずっと担当者として、「チーム私」のサポートメンバーの一員として、共に居てくれている。


神様、いえ私自身(自神)、そして守護してくださっている天使さんたち…

いったい何を考えてるの?

何を企んでいるの?

私のブループリントに、何を書いたの?

何で今さら

こういう人達に出会わせるの?

この人達との、次のプランは、一体何?


わかるような、わからないような、

わかったはずなのに認めないような、

でもやっぱりよくわからないような、

疑って警戒しているかのような。


もう考えたって仕方ないんだから

誰に出会おうが、その先何がどうなろうが

自分が何を思い付こうが、何に不意に手を出してしまおうが、

全てを流れに任せて

なんにも考えないで

感覚だけで

流していきゃ

いいんだ

っていうか

それしか、やりようがないじゃないか。

なのに二の足を踏む。


今まで、普通に人間の世界で普通に生きてきた人はおそらく誰でも

「考えて」生きてきただろう。

考えないで生きることなんか、どうして出来るんだか、さっぱりわからない。

でも、今、最近のこの時代なのか

頭なんか使わないで「魂だけでいい」っということが、ほんとうにあるんだと

私も含めて、多くの人が、薄々気づき始めた。

「魂だけでいる」ような時間が、だんだん増えてくると

体を持っていた時には、頭を使っていたときには、フィルターや忘却装置が働いていて忘れていた、魂に刻まれた遠い過去世の記憶が、

当たり前のように、同じこの魂が以前経験したこととして、一続きの記憶の昔の部分として、手に取るように思い出されてくる。

「そんなの思い込みだ」という人には、「じゃあ、あなたが昨日したと思ってることも思い込みかもよ?何の差がある?」って返します。

過去の記憶なんて、一瞬前だって、たちまち「現実である証拠なんかない」。

今、直ちにこの今今でさえ

自分の五感と神経がそう認識しているに過ぎない。現実なんか、どこにもない。

だから記憶というよりも、ただ、魂の想いの癖が、

その癖が付いたにふさわしいストーリー(夢物語)が、

ぼんやり漂っているだけだ。


私の魂はいつも

ずっと昔から

今で言うところの「山羊座っぽい」ところがあったみたいだ。

いつもいつも、どの時代においても、社会や世界や家族や、何か大きなもののために、皆が良くなるためにと、そのためには規律が大事だと思っていて、何かのために自分を犠牲にしたり、守らなければならないことをまるでしがみつくかのように頑なに守ってきた。

たとえ疲れようと、恐怖や悲しみや恨みに苛まれようと、

皆が良くなるんだったら我慢すべきだと思ってそうしてきた、社会を安全に運営するために決められた規律なのだったら、守らなきゃだめだろうよ!っというようなところが、ずっとずっと、あったように感じる。(いい加減にてきとーにやるのが癖の人から見たら、真面目で可笑しいんだろう。しかしそれぞれ、いい加減にはいい加減の、真面目には真面目の、言い分というものがある。)

それは、今生においても引き続きやっている「魂の癖」。

でも、今回の生において、今までと大きく違うのは、

そういう自分の「癖」に、意識的になったこと、「気がついて意識した」ことだ。


あとは、しがみつきされしなければ、

慣れているやり方だからって固執して変えない、ということさえしなければ、

決心さえすれば、途端に

拍子抜けするくらい途端に

ぱっと変えられるらしい。

変えなくたっていいのだけれど

嫌だと思ったのなら、ぱっと捨ててしまえる。

それをしたからって、もう誰にも何もされない。

それをしたからって、もう安全なんだ。

全部自分の作り出して見ていた「夢」だったと、見破ることが出来たからだ。


不思議だ。

宇宙にもどこにも

実体なんかない。

全部全部、

皆の夢が重なっていただけ。

何なんだろう

なぜ神様は、いや世界は、

こんな「夢」なんか、営んでいるんだろう?

誰が何のために?

…それは、きっともっと、遥か旅をして、この世界の、宇宙の、中心にまで行ってみないことには、まだまだ遠くわからないことなんだろう。

魂の旅は長い。

あんまり、目の前のことに、グリグリと夢中になりすぎて集中しすぎて、心を振り回され過ぎないようにしたいものです。

反面、そうやって夢中になることこそが、リアルな体験、鮮烈な魂の味わいを、楽しんで行けるコツなのでもあるのだが。


私とは何か?

大いなるものの前で

私は何者で在るのか?

何かが、私のそばにいる。

その存在のそばで

私は、どんなダンスをするのか?

どんなふうに

周りの、そばの、何者かと、関わるつもりなのか?


あなたのそばに

私のそばに

みんなそうやって

いつの間にか集まる

遠いようでも

そば、そば、そば、で

いつの間にか繋がっている。