小4か小5のとき

先生が教えてくれた。

「みんな、『沈黙は金なり』っていう言葉を知ってる?このフレーズばかり有名だけど、実はこの後に『雄弁は銀なり』っていう言葉が続いているんだよ。」

このことを、ここ最近、めっちゃ思い出していました。


↓この日に続き、昨日2/8は、亭田さんと山川紘矢さんとのコラボトークの会『Bless You』が、日比谷で行われました。

亭田さんも、紘矢さんとはスピリットダンスで繋がっていらしたようでした。

今回主催の黒川さんが、

「お二人が長年、信じたことに忠実に行動し続けて来られた、その原動力となったであろう“確信”とは、一体どんなものだったのですか?」

というようなことを質問しておられましたが、

お二人とも

「いやぁ…確信?? 確信というか…流されてきただけですよ」と。

要するに「別に確信なんてなかった」と。

最初に啓示みたいな、気づくきっかけはあったけれど、それからはもう「流れ」に任せて導きに従って、「そうなるしか仕方がない」から、ただ流れるしかなかった、そうして来た結果こうなった、

というようなことを

お二人とも言っておられました。

(…と、私はそういうふうに聞こえたのですが

どうも何件か感想的な記事やシェアを見ていると、そうは捉えていなかった方もおられるような気がして??)

まあいいや

きっと何が起こっても、決まった答えはないんだろう

真ん中は空(くう)なんだろう

それぞれの持ち寄った波動が

それぞれの展開をして

それぞれの「何か」を、自分の中に見出せば

それでいいんだと思う。

世界は自由と多様性で出来ていて

しかもそれは

個々が造り出している

オリジナルの宇宙の積み重ね(いろんな世界が多重に同じ場所に、チャンネルやバンドを変えながら同時に重なって存在している)なんだろう。

みんなの別々の答えの集合体が、宇宙なんだろう。



亭田さんの、昨日のお話で私が一番印象的だったのは、「ファーストペンギン」という言葉でした。

「ファーストペンギン」とは、

氷の上にひしめくペンギンの群れの中から、
餌の魚のたくさんいる(かもしれない)氷の下の海(そこには餌だけでなく敵も居るかもしれない)に、勇気を出して飛び込んでみる最初の一匹のことなのだが(一匹が飛び込むと後からどんどん次のペンギン達が続く)、実はその最初の一匹は、別に勇気があった果敢な英雄なのではなく、たまたま氷の端っこに居て、押し合いへし合いしているうちに押されてはみ出て落ちてしまったヤツに過ぎない、という意味までを含むのだそう。

面白い言葉ですよね。

「ファーストペンギン」

一語だけど、その中にちょっとストーリーが含まれている。

まるで日本語の「ありがとう」とか「いただきます」みたい。

ありがとうとは、単なる感謝ではない、Thank you(あなたに感謝する)とは実はちょっと違う、
「有り難う」なかなかあることじゃないよ、有ることが難しい、確率が低い、これは当たり前ではなく、すごくラッキーな、偶然の積み重なった、まるで神様の贈り物のようだよ、

くらいの意味を含んでいる感謝を現す言葉、それが「有り難う」

それみたい。

「ファーストペンギン」。

「僕はそれだったに過ぎない」って、亭田さんはおっしゃったのです。


謙虚で静かで、かっこよくないですか?😍💗(←最後のは私のエゴとジャッジの丸出しであるwwwwww)

群れに押し出されて、氷の上から海に落ちるまでの軌跡がスタートして、そして海面に到達する(海の中の世界にはお魚天国が展開しているか、はたまた天敵地獄か、それは入ってみなければわからない)、それまでの間が人生なのだと思う、とも。

これも、私にはちょっと新鮮というか軽くショックでした。へー、そんなに一瞬のものとして捉えているんだ💡 人生って一瞬だな、って。

私の感覚だと、ペンギンの群れにひしめきながらいつの間にかたまたま端っこになってしまうところから、海の中に落ちた世界での経験までも含めて、長いストーリーを人生と呼びたい気がしたけれど、そうか、天の、魂だけで暮らせた、生まれる前の神様の世界から、この世にいわば突き落とされて(笑)(本当は魂納得済み、むしろ志願して来たそうだがw)そしていつかまた見知らぬ、その先何が起こるのかわからない未知の世界(あの世、肉体を離れてから行く世界)へ到達するまでの間を、人生と呼ぶ…それその通り、それもありだな。っと。

目からウロコ?自分とは違った、新鮮なものの見方を垣間見せてくださったのが、面白くて響いたのです。そんな些細な、一瞬みたいなものが「人生だ」なんて言えるのは、謙虚ですよね。人間、宇宙から見たら一瞬の、ちっぽけなものなんだと、それがわかっているというのは、謙虚なことなのだと思いました。


「ファーストペンギン」の話に続き、

やはり前回にも聞かせて頂いた
「中心には空(くう)」ということ
「マスターは旅をする」
「神(本物)は沈黙する」
「沈黙の中に真実がある」
みたいなこと(これは先住民族の間に生きて受け継がれてきた、私達の先祖の大切な知恵です。)

これにまた私は感じてしまうわけですハート

私達が忘れていた、先祖から伝わる「宝」を、再び世に知らしめ広めようと、それを長年かけて探り続けて来たのに、やっと見つけてみたらその宝(先祖のから伝えられた「真実」)は、「空(くう)」と「沈黙」だった、なんて。

さあ、どうする?

「皆さんご覧ください、これが空(くう)です」なんて

無音を発音する、ようなもの。

発音してるんだかどうだか、わからない。

黙ってるのと、「無音」を発音しているのとは

何が違うのか?

そういう状況でしょう。

それでも、この「空」「沈黙」「無音」こそが真実だったのだから、それを伝えないと。

さあ、どうする!?ですよ、ほんとに。


でも、これが、この感覚が、すっごく、わかるのです(たぶん)。


本当に言いたいことほど、言葉にならない。

こういう経験は、きっと皆さんにも一つや二つあるのではないでしょうか。

私は結構大人になるまで、これが理解(意識)できませんでした。

言葉にならないなんてことが、たまたまあんまりなかったのか、言葉の表現が苦にならないタイプだったのか、うまく言えなくても諦めないタイプ、何とか知ってる言葉を駆使しして総動員して、どうにか表現してみることを諦めないタイプだった、と思います。

だから、典型的日本男児であるうちの旦那とは、そのことでしょっちゅう喧嘩になりました。
「思っていることを言わないのが腹立つ。表現してみようともしない、それは怠慢だ。交流する気が無いのか。何考えてるのかは、他人同士なんだから、言葉に出して伝えなきゃわからないんだよ。何考えてるのかわからない。気味悪い。(果ては)なめとんのか、何か言ったらどうだ!?」それが私の言い分だった。

こうなると、典型的旧き日本男児、察してちゃん、「言わんでも解れ」的な、こういう旦那は、ますます「何と言っていいかわからない」静かなるパニックであります。

旦那ますますだんまり、ますますキレる妻。

本当に最悪だった(笑)
旦那、よく耐えてくれた。(チートも大いにあったからこそだが🔥)

私も耐えた。もちろん、黙ってなんか耐えやしない。傍らで、大いに学び、遥か遠くまで、地獄の入口までも冒険し、見えない世界にまで縁を広げた。多くの人達、人に限らず、いろんなものが助けてくれた。

でも、それで結局今は(今のところはw)、衝突は避けられており、螺旋を描くダンスに、かろうじてなっているかもしれない。

いつも何も言わない旦那さんを

そのまま受け入れられるようになりました。

むしろ、何も言わないでただ居る在り方を、実に根気強く教えくれたことに、感謝しています。

今でこそ笑える話ですが。

そんな私に対して、亡くなってしまったけれど、私の弟なんかは、小さい頃から「言葉になら無い想いというのがある」ことをよく理解していた。うちの旦那とはまた違うタイプだけれど、

(弟曰く)「言いたいことがたくさんあるのに、子供のボキャブラリーなんてほんとにたかが知れてる。その中で言い表せないこと、親に怒られたって、言い分があるのに説明できないもんだから一方的に頭ごなしに怒られる、あの悔しさともどかしさ」

なんてことを、結構若いうちから言っていた。



話が逸れましたが

表現しようと思ったものが

「沈黙」だったらどうしますか?

ってところ。


私が一番恐ろしいのは「沈黙」かもしれません。

沈黙したら、この世では、互いに通じなえなくなってしまう。(まだよく知らない相手ならなおさら。)

世に広くシェアしたいのは「沈黙」である、
という事実に突き当たったら

一体どのように表現するのだろう?

その辺が、妙に、私の心に響いてしまったのです。

もう何にも言うまい、書くまい、
(シェイクスピアのハムレットの有名な最後のセルフじゃないけど)
「あとは、沈黙」

「沈黙は金なり」

なんて思っても、

伝えることが役割だったとしたら

そんなこと言って諦めてやめてしまっては元も子もない。


雄弁は銀なり

この言葉もあることを

忘れてはいけないのかもしれない。


「その人のやりにくいことこそ、役割として敢えて与えられたりする。」



私にとって、日本のエリッククラプトン(笑)

「自分で自分の機嫌を取る」いい言葉❤️

満面の笑み

わかりやすいw
目がハートになってるww

楽しかったね♪