最近、肌で感じます。

今、どんどん、「境界線」が溶けて無くなってきているように感じます。


そしてそれは、星(占星術)を学んでみても、宙(そら)にもちゃんと描いてありました。


昨日もそれをまた、笑っちゃうほど痛いほど(笑)、はっきりと目の当たりにしました!


境界線がなくなるというのは

「思い込みがモヤモヤにうやむやになって枠が外れる」という意味でもあります。

男女の差のジェンダーレスのことを例に挙げていえば

オカマちゃんが増えるというよりも

どっちであろうとどうでもいい

どっちであるかということが問題ではなくなる

という、もう一歩進んだところだと思います、最近は。

それは「あの子男の子なのに女の子みたい(にかわいい)よね」とかいう言葉が、しょっちゅう言われるどころか、もう当たり前すぎて言われることさえ無くなる、ということです。

どっちでもいいじゃないか

男である○○さんとか、○○さんは女だとか、○○さんは両方だとか、どうでもいい、単なる人間○○さんでしかない、というような。

○○さんはその生き様だけで問われる。

付随したこと、性別、住んでるところ、職業も曖昧でいいような

性別?人間。
住んでるところは地球。
職業いろんなことやってるけどすべてを通じて○○ということをテーマに取り組んで生きている、といった人が、実際に増えています。


あ、話がそれました。

昨日わたしが体験したのは、

間は面倒なので大きくはしょりますが、平たく言えば

「仲が悪いからって離婚しなくちゃならない訳じゃない」とわかった、

ってことです。(平たいでしょう(笑)深刻じゃないんだよ、こんなことは。もう悩みすぎて慣れちゃったぜ。どうでも良くなった訳じゃなく、いつの間にか解決したからだ。たぶんそれなりに、頑張ったんだろう、自分。)


そんなの夫婦と言えるのか?とか人からは見える関係だからって、好きとか愛してるとか毎日毎日日々いつもしょっちゅう表立って意識しないからって(心の奥底では想っていることは必要かもしれないけど)、愛していないとは言い切れない。仲が悪いからって離婚しなくちゃならないと決まってるわけじゃない。


自分が自分と、仲良く生きていればいいこと。


そのまわりに、別に誰か、居ようが居まいが、

たまたま近くに旦那や家族が、居ようが居まいが、「自分と自分との生きること」には関係がない。

と、非常な形で、昨日は明らかになった。

わかってみたらこんなにシンプルなことってなかったのに

やっとわかった(笑)

そのショックで(笑)

重い重いと思っていた大きな重要な石が

実は超軽い軽石だったと判明してパッと退(ど)けられて、急に軽くなったショックで、

今まで「この重さに負けるもんか潰されるもんか」と踏ん張って使っていた全身の筋肉と骨が
一気に弛まされて解放された反動で

逆に上に飛んでしまったかのような(笑)

自分の踏ん張っていた反動で宇宙に放り上がってしまったかのような

重い思い込みを急に外した反動が、まるで自分を地面から蹴り上げるような形になって、宇宙にフッ飛んでしまったかのような

そういう体験を、今しています。

重→軽の反動は

腹がよじれるほどの大笑いになって

この軽さったら何、みたいな

それを目の前で見ていた、石を退けてくれた(喩えね)人も大笑い

だって私が、
「この石重くて参ってるんだ…」と、深刻に言いにくそうに、めっちゃ前置きして出し惜しみして、さも苦しそうに言い淀んで、ようやく告白して、「実は、これなんだけど…」と、背中に背負った「それ」をようやく見せたと思ったら、

え、何言ってんのこの人?

背中に背負っていたのは

巨大な莫大な深刻な重大な黒くて重々しい岩なんかではなく

大きな虹色の綿飴でできた、ユニコーンの角の生えたフワっフワの巨大な象さんだった

みたいな。

(分かりやすくビジュアルに例えた、単なる喩え話ね。)

何を背負っているのを見せてくるのかと思って構えていたら、くるーっと振り返ったらそこにあったのは「へ?何言ってんの?これ軽石じゃん?綿飴じゃん?」

パッと片手で簡単にどけた

「拍子抜け」とはこのこと。

向こうもショックで大笑い!

今までの貴女のしかめっ面ったら一体何?wwwwww

何を言い出すのかと思ったらwwwwww

コントか

年末の

「絶対に笑ってはいけない」シリーズのひとこまか!(笑)


思い込みなんて

ほんとに思い込んでるだけで

神様は、いかに人間が、本質を見抜く目を持ってるか、持てるように鍛練するかを、試していて

それを見破ったら、物事の本質を見抜いて見破ったら、

案外簡単に「なんだこんなものをこんなふうに捉えていただけだったのか」

なんてこと

たくさん有るんだと思います。


それにしても私のはギャップが大きくて笑っちゃったかもしれないけれど、とはいえ

思い込みなんていた最中は、本当に恐ろしかったし重かったし苦しかったし怖かった。

命がけで怖がっていた。

見破った今だからこそ笑えるし

思い込んでいたことが滑稽にさえ思えるけれど

信じきっていたときは本気で怖かった。

夢ってそうですよね。

眠っている間に見る夢って。

見ている間は、どんなにあり得ないことでも完全に信じてる。

今、リアル(現実)だと思っている、夢から醒めた世界だと思っている、この世界だって、

もしかしたらもう一段階上の現実からってしてみれば夢なのかもしれないよ?

だから

これは夢だ、なんともない

私も私に見えていることも、自分が思っている以上に本当は軽やかで万能なんだ。大丈夫。傷なんかつかない。
Don't worry, be happy.

そう言い聞かせて、平常心を心掛けて、どこか覚めていることをできれば意識するようにして、明晰夢みたいにして、生きていけたらいいかもと思う。

あ、いや、ちょっと違うかな。(こんなの綺麗すぎるだろ。何綺麗にまとめてんの?ってかんじw)これでもいいんだけどさ。

夢って、信じ切って見たからこそ、醒めた時に「ああリアルな夢を見た」と面白がれるのですよね。

いい夢だったときは
「うわー起きちゃったーもう一回寝るー」とか思ってるのに夢の世界には戻れない、なんて残念がることもあるくらいだけど、

悪夢だったときは、目が覚めて朦朧としているときはまだ半分本気にして怖がっているくらいで、だんだん、あー夢だったのか、あーよかった…とほっとしつつ、それにしても怖かった…嫌な夢見た…って思うけど、でも少ししたらすっかり忘れちゃう。そして、もっと面白いくて手応えのある、リアルだかもう一段階先の夢だかわからない、とりあえず現実と思っているこの世界での出来事に忙殺されていくのです。

それが楽しいのさ♪



親子サンキャッチャー❤️w

何かお喋りしてるw