今日は、ちょっと長くなってしまいますが、とってもいいことを感じたので、自分に大切にしておきたいので、この感想を書かせていただきます。


今日は、渋谷のNEOビジョンスタジオというところで、

亭田歩(ていだ・あゆむ)さんという、民族学者?冒険家?フィールドワーカー?映画監督????の方の、お話し会というか、ギャザリング(集うこと)というのがあり、参加してきました。


亭田歩さんというお名前を、最近仲間たちから口々に聞くような気がしていて、でも、聞いても「何だか来年映画を作る予定の人」とか(笑)曖昧な答えばかりでよくわからず(私がちゃんと聞いていないだけかもしれませんが、何だか、何度聞いても頭に入ってこなかった)、何者なのか結局よくわからず、「なんか、地球が好きな人なのかな。何だかよくわからないけど面白そうな人だな~♪」くらいにしか思っていなかったのですが(笑)m(_ _)m、

友人の加奈子さんのFacebookページに、この方のイベントを渋谷でやるよという案内が出たのを目にしたとたん、何の根拠もなく「あ、これは行くやつや。」っと感じ、即申し込みました。

どういう方かわからないけれど(わからないから、いえわからないのになんかドキドキするから、お会いしてみたいなあ、と思ったのです。


そうやって申し込んで

今朝になって

楽しみにしていたはずなのに、

鼻のグズグズが治らなかったり(これの理由はまた別記事で)、家族が何の用事もなく家に居たりするのが気になったり、若干寝不足気味だったり、なんだかんだ、理由無くやる気がしなくて、「山へエスケープしたい」とか訳のわからない衝動に駆られたり(笑)、なんだかめんどくさくなって、行くのやめちゃおっかなーなんて魔が差したりしたのですが、

自分でオーリングテストをしてみると間違いなく強く「行く。」と来るし、これは単なるわがままか、はたまた何か理由があるんだろうと、珍しく「やる気しないのに自分をなだめながら」渋谷へ出掛けました。

(事前振込と私の現実性(ケチ)にも助けられたかもしれません(笑))

それが幸いしました。
(めんどくさがった理由も後でなんとなくわかりました。)



会場に入ってみたら、講演会みたいに椅子が前を向いてたくさん並んでいるのではなく、

大きくまあるく、車座になって、床に直接座れるようにクッションが並べてありました。

募った参加者は20数名だったようです。

思っていたよりこじんまりして、アットホームな感じで、雰囲気が暖かかったです🍊


最初に少し、亭田さんの自己紹介と、
このような活動を→公式サイトされていることを実に簡単にかいつまんでお話ししてくださったあと、

こんなことを言われました。

「世界各地の先住民達は、“集う”ということがまず先にある。その中心にはスペース(空白)がある。中心に何も置かない。

これがどういうことかを詳しく書くと、時間も長さもそのまま講演会になってしまうので省きますが、(「亭田歩」でググって講演会とかに行って聞いてみてください☆でも「僕はいつも思いつきで、同じ話を繰り返してはしない」とはおっしゃってましたが…。でも根底にあるもののようなので、自然に端々に出てくると思います)

それでも、ざっくり言うと、それは

答えを真ん中に据えない」

みたいなことだと思いました。

とりあえずまず集うことが大切であって、

でも、集ったからって「何のために」ってことはなく、

何か得なければならない「答え」が予め用意されているわけでもなく、

集ったからといって何か辿り着かなければならない「正解」が中心にあるわけではない、

ってことらしい。

これが、まず胸に響きました。

何も訳もわからず、亭田さんがどういう人なのかも知らず、ただ素敵で大好きな加奈子さんがなさるイベントだからというのと、皆からやけに名前を聞くし、「なんとなくとても心惹かれるから、とりあえずわかんないけどまあ行ってみるか♪💓」で来てしまった、何にも求めないで目的も無くたーだ来てしまった、「こんな私ってアホなんだろうか?こんなにぼわぁっと計画性の無い感じで生きていちゃ、ダメなんじゃないか?」っと、うっすら思っていた私に、

「いやそんなことないよ、自然のままで神と共に、ご先祖様を大切にしながら優しく生きている世界各地の先住民の人たちは、みんなそんな風なんですよ」

とでも言って下さったかのような

(亭田さんは別にそう言った訳じゃなく、私が勝手に聞いて自分の中でそう解釈しただけなのですが)、

それが、なんだかほっこりと、嬉しかったのです。(*´ω`*)💗

このあとに、ワークみたいなことを交えつつ、皆でぐるっと一周、自己紹介をしました。

参加されていた皆さま(こういう会の時いつも思いますが)、ご自分のことを短時間に端的にお話しするのがとっても上手で、参ります。

実はこう見えて私、人前で自己紹介する(手短に自分のことを話して伝える)のは、とっても苦手なのです。

ブログなどで書くのは、推敲もできるのだし、最も効果的に伝えるにはどの言葉を使うかを、話すよりは考える時間がありますから、楽です。私は頭も雰囲気も若干固いので、話し言葉より書き言葉のほうが得意です。声音とか、声の抑揚とか、人の磁場とか、思念とか、表情とか雰囲気とか、人前で話すときは情報量が多くて処理しきれません(←なんだこりゃ(笑)でもそうなんですよ…)。

自分のことなんか、うまくまとめてなんか、話し切れない。

面白い話も、感じてることも、行ったセミナーも出会った人も学んだことも、山ほどたくさんあるけど、そんなこと全部全部話せないし、

それら全部で出来てる私なんだし

だから自己紹介なんて

もう、黙って立ってるだけで、あるいは20秒くらい手を繋いでいるだけで、テレパシーで、数秒で私のことをスキャンするかのように、すぱーっと感じてわかってくれたらいいのに、なんて思うくらい!言葉で話すなんて、面倒臭い!!(サボりたいとか労力を使いたくないとかでなく、やりきれない。こなせない。言葉にとても限界を感じる。)

最近は特に、もう講演会とかも、いろいろ意見を述べる読書会とかも、面倒で、いえ面倒というのはそれを否定するのではなく、言葉を失うというか、言葉でなんか表現し切れない感じがして、もどかしくて、いられないのです。行く気がしないのです。

自分がもう悟ったから聞く必要はない、とかいうことではなく、

「もう黙って、みんなただ静かに、自分のまんまでそこに居たら、それで良くない?」

「静かに平和に感謝して、静かにそこに、そのまんま存在していれば、みんなしてそうしてそれぞれが、平和な自分で自分がいれば、たくさんの光の柱が静かに美しくそこに立つように、それぞれ存在していれば、いろいろアピールしたりとか、説明したりとか理解を求めたりとか、あちこち学びに出掛けたりとかたくさんたくさん本を読んだりとか…しなくても、良くない…?」

って

すごく、ほんとに、心から

そう思うのです。

思ってしまうのです。

ほんとは思いたくないよ、だってそれじゃ社会に馴染めないから。

でも、思って「しまう」のです。

本音ですからどうしようもありません。


皆様どうですか?

(皆マジで、どう思ってるんだろう?)

でもね、

そんなこと言って

ほんとにだまーっていると、

この社会においては通用しない。

初対面の人には、私が何者であるかを、何を考えているのかを、言葉で表現して話して明らかにしなければ、どんな者かはわからないだろうし、そうしなければ、奇妙で得体の知れない、謎で、薄気味の悪い、つかみどころのない扱いにくい者になるだろう。

ほんとはもう黙って何にもしないで居たいけど

この社会ではこの世界ではまだそうはいかない

テレパシーはほぼ通じていないんだから。



そんなことを

もう他に何にも出なかったから仕方なく、諦めて、

今日は自己紹介でいってしまった。上のまんまを。

最初は名前とか、今日来たいきさつとかを、一生懸命言葉にして喋ったけど、もう息が切れるし、こんなことに時間を使っちゃもったいないじゃんかという思いにも苛まれるし、だから本音で行こうと、今の私の思うままを出しちゃおうと、上に書いたようなことを言ってしまった。
「ぶっちゃけもう話すのとかめんどくさいんですよ!」
「言葉を失うというか!」
「このまんま、解ってよ!みたいな!」

笑って聞いていてくれた人もいたし、後で「実は同じこと思ってた…💚」っと、コソッと言ってくれる人もあったけど、「ひえぇ~なにそれ…」とか「じゃ黙れよ!」とか、思った人もいたかもしれない。

亭田さんは、私の言葉を受けて、「後でまた話すけど、実はそういうのあるんですよ」と何かの民族の例を出して話を引き取って下さいました。懐の深い愛ある方だなぁと、感謝しました。m(_ _)m

自己紹介の場では、皆がお互いをジャッジしない、自分のまんまを表現しても安全な場であるようにと、一人が話終わった後に毎回、まじないというか、ハワイの先住民に伝わる習慣の小さな儀式をしました。簡単で独特な拍手みたいなものでしたが、これを毎回やるうちに、何を聞いても大丈夫な自分、どんな感想を持ってもチャラにできるような、話す人も聞く人も安全であるような気持ちがして、とても気持ちが良かったです。「大丈夫」と、何回も言われたような効果を私は感じました。先住民族の知恵って、些細な習慣だったりとか、小さなことだけれども、素朴で、でも真があるようで、とってもいいなぁ。と思いました。

答えはない。

まず集うこと。

中心には何も置かない。

中心にはスペース(空)を置く。

ジャッジをしない(批判だけでなく、称賛もジャッジになる。)

例え良いことでも、強いとか突出とか目立つことには、自然は相反するものを用意して打ち消そうとする(それが調和だから)。

変化は静かにゆっくり

相対するもの、違うもの同士は、ぶつからないで螺旋を描く。互いに衝突すること無く、渦を巻いて螺旋状に踊る。螺旋を巻くうちに昇華して解消する。

こんな感じだったかなあ。メモはとらなかったけど、心で聞きました。


最後に、時間が迫ったとき、ひとつ真に迫った、本気の場面に遭遇し、一同考えさせられましたが

本音を晒せた勇気にも、それが許された(それを誘引できた)あの場にも、他の人もたぶん薄々思ったであろうことを、ちゃんと明らかにして見せたことにも、とても感謝を感じました。

ただ、答えを求めに来た人には、答えを得られなかったことにがっかりするでしょうね、でも無いものは無い。その人が満たされるように、何らかの答えめいたものを捻出して与えてしまうのは、愛ではない

愛とは沈黙である

というかんじのことを、多くの言葉で語ること無く、体と態度、有り様で、本当に実行し体現された、亭田さんに、(かといって「でも一生恨まれちゃうこともあるかもしれないけどねーエヘヘ(´ω`)」って、ちゃんと照れながらエヘヘと笑えた亭田さんに、)うはーこれは本当の人だなあと、とっても感銘を受けてしまいました。

神様は、本気を出すとものすごい沈黙をする

っというのは、私は直に自分で体験しているので、すごくよくわかりました。

そして、「あの沈黙をこの人は知ってるんだ」と思ったら、

なんだか突然ハラハラハラハラと涙が出てきて

これもまた、感情を伴わない涙、

「あれ?何だろう?目から水が出るよ?」

みたいな涙。

魂からの涙は、感情をスルーするのです。最近何度もこういうのあるので、わかってきた(笑)。

感謝とかでもない

癒されたーとも感じない

魂と涙腺が直結していて

脳や心はスルーしているような

不思議で軽やかなハラハラした涙なのです。


今日は亭田歩さんにお会いできて、とても良かったです。

私は世界中を旅もできないし、先住民族と共に暮らしてみたりもできないけど

私には体験できない世界を、亭田さんが体験してきて、話して下さいました。

同時に、亭田さんは私の人生を生きることはできないけれど、私が、私の人生を生きてきて、あの「無いったら無い」みたいな、「漆黒の闇」「神様の徹底的な沈黙」を体験して来て、その上で今日渋谷に会いに行って共感して涙を流したことで、

それぞれの生が繋がったような感じがしました💗

きっと今日参加された皆さまそれぞれの体験があったと思います。

それぞれの体験がそれぞれの答えであって

どれが正解でもなければ

どれが的はずれとかでもない。

「まず集うこと」

そこから何が生まれるかは、自由なんだと

これが“縄文”の文化に伝わっていた“想い”みたいなものなんじゃないかと

私は感じたのであります。

お会いする前までは謎の変な人亭田さんでしたが、お話しをお聞きするうち、なんだか貴重な動物か、滅多にお目にかかれない幻の珍獣とか妖精とか現象か何かのような、大切な人のように思えてしまって(笑)、写真を撮ったり言葉を交わしたりなんかしたら消えてしまうのじゃないかと(笑)めちゃ遠慮していたけど、雅美ちゃんがポイっと撮ってくれました❤️ありがとー💕✨



あーあ、書いちゃったぜ。

ほんとはこういうのも、書いちゃいけないのかもしれないな。

どこが沈黙だよリエラさん(まったくだww)。

自分で何か考える前にこれを読んじゃった人が、これを答えにしてしまったら、また誰かが考えて与えてくれるのを待ってしまうようになったら、それはその人の生の機会を奪うことにもなりかねないし、私の答えをスペースに置いてしまうことになる。

真ん中は、空白にしておかなくちゃならないんだ、皆が自分の考えを好きに置くことを想像できるように。

すごく、最近、考えています。講演会やイベントに行くこともそうだけど、こうやってブログを書いて、自分の考察を述べること、これ、真の宇宙の調和運営に反するんじゃないか?と。

反面、これが私の表現だしな、これをしないで、私の社会での自己実現って何?私の役割って何なのさ?とも思う。この世では、この社会では、自分を表現してアピールしてこそ、居場所を創れるんじゃないのか?とさえ思う。

去年暮れの、『冬至の祝祭』の時は、「これが私の太陽だー!」くらいに、見つけた気になって、ブログが私の力だ、くらいに思ったのに、

でも、最近、どうやらそれが、違うような気がしてならないのだ。

いや、自分の中のエネルギッシュな太陽は太陽に違いないかもしれないけれど

ギラギラした太陽を使って生きるのもひとつ手だけれど

煌々と静かに見守る、月のような静かな生き方が、私は好きだな、性に合うんじゃないかな?と思うのです。

スペースを埋める何かを、探して見つけて埋めて使うことではなく、

スペースを開けることこそが、自分なんじゃないのか?と、思い始めているのです。


まあ、どっちでもいいや💗😄⭐️

その時が来りゃ、嫌でも自然に止まるんだわ。



次回は、亭田さん、これまた私の大好きな山川紘矢さんとのこんなコラボイベントがあるそうですョ!
よろしければ是非☆

また長々とm(_ _)m

ここまでお読み頂きまして
誠にありがとうございました。💐🍀🌈💚