ミディアムシップは、あの世とこの世の架け橋をします。
でも、最近、重要なことに気がつきました。
私が橋を架けるのではなく
私が橋そのもので在るのでした。
そんなことに気づかせてくれた友人とその愛する人たちに
深い感謝を捧げます。💐💚
「月」に関する、
高次の存在が教えてくれたメッセージについて触れました。
この「月」の話について、その後実際にお会いした何人かの方々からちょいちょい、「あれ響いた…」とのご感想を頂きました。
ありがとうございます。嬉しい限りです。
これに出てくる「月」しかり
「特に何にもしないけど在るだけで良いもの」って
他にもいくつもあるなあ、と、最近よく感じます。
例えば最近、こんなことがありました。
年末から年始にかけて、間を置いて2回も、
それも全く別々の方から、
私のしている「ミディアムシップセッション」(亡くなられた愛する方との会話の橋渡し)について、“依頼のような問い合わせのような”ご連絡を頂きました。😊🌱💐
要するに、私の言葉で要約すると、それはこのようなことでした。
「聞きたい気がするのは山々なんだけどちょっと迷ってる、なぜかというと、亡くなられたその方を私はとってもとっても愛していて、生前の関係も良かったので、既に自分の祈りは通じているとは思える、でも自分では確信が持てないから、実感ができないから、よりはっきりと、その存在を感じたいだけなんだけど、ミディアムシップってそういうのでも良いの? 今、亡くなられた悲しみとショックがようやく少し和らいできたような時期で、自分にも少しだけ余裕が出て来はじめたところなので、聞いてみたいかな…という気になったのですが、寂しいだけなのかなあ?私の思いは、あの世へ行ったあの方に通じているかなあ?どうなのかなあ?」
まず率直に言って答えは
「そういう場合でも全然オッケイですよ」
なのですが(まあこのことについてはあらためて別の記事でちゃんと書きます。とりあえず今は本筋の先を続けます)、
この方々のニーズは、おそらく
触れ合いがほしい
通じているという確信が、手応えが欲しい
のだと思います。
私は次のようにお返事を差し上げました。
このお返事を書いて、自分で書いておきながら、はっと気がついたのでした。
「あ、そうか。ミディアム(あの世とこの世との架け橋)は、“在るだけでいい”んだ。ミディアムという橋が在るだけで、いつでも渡れるんだと思えるだけで、皆安心できるんだ。ミディアム(霊媒)という橋は、実際に渡っても渡らなくてもどっちでもいい、ただ掛かっていること、それが在ることを、皆が知っているだけでも、それだけでもいいんだ!」っと、思ったのです。
神様、高次の存在が、自動書記やカードで何度も何度も
「あなたはなにもしなくていい」
っと言ったのは、こういうことだったのか、と
やっと腑に落ちた気がしました。
それは「お前には何をする価値もない」みたいな意味ではありませんでした。(実は、最初はそういわれたのかと思ってちょっと凹みました。笑)
「何もしなくていい」というのは
「在るように在るだけでいい」
ということとセットで
「Do」と「be」の違いっていうか
…うーん!微妙だ!表現が難しいな。でもわかるよね?
「あなたらしい波動を発しながらただそこに存在するだけでいい」
もしも私が、自分はミディアムだということに気づきもせず、気づいても人に言わないで、人様に提供の窓口も開かず、ミディアムというものがあるんだとも、それを使ったらどんな風に自分を納得させて心安らかに持っていき前に進むことの助けになるのかも、何にも伝えようともせず、ぼけーっと本当に何にもしないで家で寝てばかりとか居たら、それは「何もしない」というよりも「在ることさえもしていない」ことになるでしょう。これは違います。
つまり「在る」とはまず、「自分自身を知ること」「自分は何者であるのかを知ること」です。これがなければ「在る」ことはできないのではないでしょうか?
この「在る(be)」に対して「する(do)」というのは、例えば「私はミディアムでーす!」とガンガンアピールして、イベントにも出まくって宣伝とか集客とか戦略とかに燃えて、人を押し退けて、亡くした悲しみをあちこちからほじくりかえしてニーズを焚き付けて、客寄せしていかにたくさんセッションするか、いかに自分がすごいか、いくら稼げるか、どれだけ有名になって押しも押されもしない不動の人気霊媒師を目指すか…とかするのが(←悪いとは言ってませんよ、そうであることが魂の学びにとって必要な人もいます、でも)私には違うんだよと、神様は私には言ったんじゃないだろうか。
もしもそういう風にやるほうが、私自身の魂のためにも世のためにも良くて、調和のとれた状態なのだったとしたら、神様は「あなたはミディアムです。ミディアムをやりなさい。ミディアムとして世のため人のために役に立ちなさい、ミディアムとしての使命をこの世で果たしなさい」みたいなことを、私に言っただろう。でもそうではなかった。どっちが私の役割であるか、だけのことだったのだと思う。
人にはいろいろなタイプがあって
太陽タイプの人もいれば
月タイプの人もいるんだと思う。
太陽タイプというのは、
自らが自家発電して内側から自力で燃やして発熱して、自分が周りを照らすタイプの人。「動の良さ」を活かして生きるような人。周りの星たちを輝かせて各々の特徴が活きるように照らして稼がせて、その事で自らも信頼とエネルギーを更に得て循環させるタイプの人。稼いでくる一家の大黒柱のお父さんみたいな。
月タイプというのは
自分は何も燃やすことはなく、ただ静かに存在し、太陽の発する光を反射して活かして輝く人。地球(人間)のそばに寄り添い、寂しくないように周りをずっとぐるぐる回ってあやし、常に見守り、安心させてくれる、優しく静かなお母さんのような人。「静の良さ」を活かしている人。
どっちが良いでもどっちが悪いでもない。
ただ複数のタイプがあるだけだし
どっちも必要。
他にも、水星とか木星とか火星とか金星とか
いろいろなタイプや要素(人)があって、使い分けているはず。
それぞれの専門分野を、互井が独立して別れて担当していることで、協力し遭い助け合い、全体が機能する。
使うか使わないかはその時々の自由
使わないからって直ちに「要らんよね、捨ててしまえ」でもない場合もある。
居るだけでいい、在るだけでいい、ってことは、あるのだ。
そして更に言えば、それは人間が決めることじゃない。
宇宙の、自然の、総意によって
誰の意見でもない
噛み合わせの間に生まれた必然的なニーズによって
何がそこに現れるか、何を持って人が生まれてくるか
そういうことが全部、自然に決まるのだ。
それが「ありのまま」の有り様なのだと思います。
月
架け橋
象徴
無音
癒し
水
山
星
親
故郷
在るだけでいいもの
あなたは何を、そういうものだと感じますか?