現実は思考が創る。
思考は腸内細菌が創る。
わあ☆ホンマや~✨😄💖
ウマイ!(笑)
シンプルで真実で淡々としてて
すごく気に入ってしまった。このフレーズ。
さとうのみっちゃん、いつもながら、
スペシャルありがとうございます❗️❤️❤️❤️✨
考え方だ精神だ意識だっていうけど
結局それだって単に
物質の相互作用。
「単に」っていうけど
それは馬鹿にできることでは全くなく、
要するに全て均一に繋がっていて、淡々と捉えて良いことなのです。
宇宙も物質も愛も感情も人間も事情も時間も空間も何もかも全て
「クルクル回転する極く小さな愛の意識(エネルギー)を持った粒々」で、出来ている。
これを見破ったら
この感覚を感覚で感じられたら
全てを波動で読むことが出来るのです。
マニュアルに当てはめて答えを導き出すのなんかではない、
もうドバッと瞬時に、「感じ取れる」のです。
「観る」とはこういうことです。
私も、いつもいつも毎瞬毎瞬観ているほどではありませんが、必要なときにそれは起こるというくらいから、今徐々にそういう時間が増えている、というようなところです。
一介の主婦の私でさえこうですから、
世界にはきっともっともっと、思ったよりたくさん、「観れる」人が増えていると思います。
(ら抜きとか言ってんじゃねえぞコラ。言葉なんか進化するんじゃこの石頭の拘り野郎が。柔軟に行けや柔軟にぃ。)
ぶっちゃけ出してみましたが、↑こういう本音も、私の腸内に今巣食う何らかの細菌が醸し出している思考であり現象なんでしょうね。
これまでは、ちょっとやそっとマイナスなものであろうとも、善悪みたいな判断なんか乗り越えて、何でも認めて大きく受け入れることを、自分として潔しとしてきましたが、今後はもっと繊細に微細に、もっと穏やかな美しい波動のものだけを、選んで食べるように真剣に気をつけてみたいと(それもいいかなと、もうそこまでする時代かなと)思います。
それを推奨するかのように
昨日一昨日くらいから、舌先に大きな口内炎が出来てしまい(何か食べていたときに何故か間違えて思い切り噛んでしまったところにバイ菌が入った)、痛くて何も食べられません。
食べ物に気を付けろよ、の、体さんからのサインです。舌を噛んだところから、それは始まっています。(その時なに食べていたかなあ~?肝心なところを忘れてしまいましたが、それも意味のあることと思います。)
口内炎よ、痛みよ。教えてくれてありがとう。
もうめっちゃわかって、しかも今ちゃんと決心したから、もう君の言いたいことは十分受け取ったから、君は役割を果たしたから、もう消えてくれていいよ~口内炎君~
サヨナラ~~(・ω・)ノ゛~~
拘ることなく、サラッと軽く、日常茶飯事として、波動で読んで動くことを、普通に習慣付けしてゆきたいと思います。(拘った途端に違う。)
(近頃は「波動」という言葉がもはや使い古されていて、この単語自体に垢がいっぱいついているというか、本来とズレた捉えられ方とか、誤解とか思い込みとか、妙な思い入れとか、人の拘り(こだわり)がくっついてしまったというか。だからあんまり使いたくないけど、粒々が動いて波のうねりように何かを形成する感じは、この言葉が上手に表していたから、好きだし使い勝手は良い。でもね(笑)、「波動」と言っただけで「霊」とか「宗教」という言葉を聞いたときとよく似た“妙な緊張感”が走るのは一体何なんだろう(笑)これ、嫌いだ。霊だって宗教だって、本来は単なる、それを表す言葉に過ぎなかったはずなのに、いつの間にか「胡散臭さの代名詞」みたいな意味合いが含まれてしまった。残念なことです。言葉にも、その新鮮さ純粋さには、寿命があるのでしょうか。いや、ただの変化、ただの時期でしょうね。言葉にも、幼年期、思春期、更年期、倦怠期等、時期とか「お年頃」みたいなのが、あるのかもしれません。)
さあーなに食べるかなあ~
考えるな、感じろ、否、観じろ(笑)
(しかし痛い… 痛みよありがとう💐)