他者に感想を持つときって、それ、そのまんま自分自身なんだ!っと、今日は特に痛烈に思い知らされました!鏡は母親でした!(笑)
身近な人ほどそれは強烈で痛烈で、そして「そんなわけない」「私は違う」とか批判めいたものが先立ってしまい、気づくのに時間がかかります!
今日のなんかはまだ早いほうです。
一番長い(気づくのに時間がかかる)のは、若い娘が「嫌だお母さん」とか思う母親の日常の些細なひとこまを、自分が年を取ってから実は案外やっていたりすることに気がつく、なんてパターンです。
いや今日は非常に、参った!(;´∀`)
そして、
「嫌だな」「そんな点は消したほうがいいのにな」と思っていた、母でもあり私自身でもあったその特徴が、案外「愛しいんじゃね?」と赦せてしまったことが、今日は不思議でもあり、救いでした。
周りに人が居て、一緒に関わってくれたことが、そう思えるきっかけだったと大いに思います。
私一人で対峙していたら、たぶんまた批判で終わっていました。
ありがたいです。
感謝です( T∀T)💗
そして
母以外の、次なる「赦して和解する」キーパーソンが、もうすでに一人見えました。
それも、意外にも、周りの人の口からいつの間にか自然に出てきた言葉でした。
何故この人から、こんなところで、あの人の名前が?っという出方でした。その時は自然すぎて気がつきませんでしたが、家に着いてから「あれ?これはおかしいぞ、さては神様、サインだなっ!?」っと気がつきました(笑)。
周りに起こることは全てが自分自身の投影だと聞きますが、
顕在意識のレベルでは忘れているようなことさえも、現実には全て投影されて現れてきます。
あとから「ありゃ、全部私じゃん😅💧」
と気づきます。
自分が何の気なしに口から発することも、
人の口から何の気なしに出てきたワードも
みんな、サムシンググレイトによって自然に「言わされている」、人々(私達自身)が「気がつく」ように、言わされている。
そういうこと達を見るから
「神様はいつも共にある」と感じるのです。
なにもノーテンキにお題目を唱えているわけではないのです。
神様って、サムシンググレイトって、自然なのです。
そのへんにあるもの、空気、地球、環境、この世、私達自身、この世界全て。全部を構成する「意識」「粒々」それが「神様」なのです。