ハーレーやワルキューレの夢もいいけど

それよりももっとググッと、心に深く思っている深い夢

「本を出す」

これは実は小さい頃から思っていたことで

幼稚園から小学校くらいまでの間には

『流れ星のナランちゃん』というお話をシリーズで書いて自分で綴じて、学校で教室の後ろに置いて皆で回し読みしてもらったりしていました。

(今思うと、小学生の時の6年間が一番、自分の「山羊座の太陽」をよく使っていた。)

だんだん中学高校と大人になるにつれ、絵本から小説へと書くものが変わっていきながら、懸賞に応募したり、しようとして作品を準備するうち、プロの人たちや、そこに続くセミプロの人達のすごい作品をたくさん目にし、

「これは敵わないや」
「ここまではできないわ」
「なにも私がやらなくても、他にいくらでも得意ですごい人たちはいる。彼らに任せて、私は享受して楽しむ側でいいや。」
「お店やさんごっことかした時だって、全員で店員さん役に回って、お客さん役の人が居なくなったら、成立しないじゃんか」

なーんて言い訳して、書くことは諦めてしまいました。

たまーに何度か佳作くらいには入ったりしたけれど、自分の可能性や出来高に喜ぶエネルギーよりも、素晴らしい作家さんたちの作品に感動し圧倒され平伏すエネルギーのほうが、遥かに大きかった。

時を経て、今は、

人と比べたり競って、他者を押さえて、自分が誰よりも賞賛を勝ち取る、ということよりも、

自分がただ単純に、底抜けに楽しむことのほうに、価値を見出だすようになりました。

現実的にはそれでは通用しないとか、お花畑じゃないんだとか、そういうことは、どうでもよくなってしまいました。

すると、気楽になったし、

そうやって気楽に、自分が笑って気分よく輝いているときのほうが、いやそれだけで、

売り込む努力とか他人に解らせようとかそんなにガリガリしなくても

自然に人が集まったり、私を見た周りの人が、別に集まらなくても自分で勝手に幸せになるんだ

とわかりました。

すると、

「ああそれでいいや。自分も含めて全体が、幸せになることが、安心の波動が世界中に広がることが、私の望みだ。自分が有名になることやお金持ちになることが最終ゴールではないや。幸せと安心で世界が満ちること。これが目的だわ。

と、思ったのです。

最終目的に辿り着くまで、いろいろな、手段や段階や道筋があり、その過程で、また欲をかき出したり、何か忘れたり、現実面で選択を余儀なくされたり、いろんな流れがあると思いますが、

いずれどこかには辿り着くのだし

気楽に流されていこうと思います。

気楽さと、安らぎと、笑顔。

これだけを羅針盤に
これだけを常に譲らない基本として胸に。



…ということで、

焦らず釈迦力にもならず、今のところはぼちぼちですが、少しずつ書きためています

何の本でもいいんだけど

今一番思っているのは

見えないものとの交流についてのことを書いた本。

しかし、どこからどう書いたらいいのか?

今自分のやっていることや感じることをそのまま書けば良いのでしょうけれど、そこに行き着くまでには前提が要る。いきなり自分のわかっていることを説明しても、自分の常識は他人には常識ではないことはたくさんあります…

どこから始めたらいいのか?

他の人の出版された本を読むけれど

自分の読む本は自分に等しいというか、自分で選ぶから、わかる範囲の本しか寄ってこないし…

一番問題は、私はモヤモヤしたことをいきなりドバッと解るタイプなので、そこへ至る細かな過程を丁寧に踏むことができません。

自分だって、最初は何にも知らない赤ちゃんだったはずだし、誰かが何かを、私に解るように教えてくれたからこそ、今ここまで来たはずなのですから、それを同じように伝えたら良いはずなのではありますが、

47年かけてぼちぼち来た道、いろんな人にいろんな過程でいろんな方向からちょっとずつ教わって、その積み重ねで培われてきた(要するに熟成と習得に時間の掛かる)この今の感覚を、

そんな1冊くらいの本や数行の文字なんかで、とても簡単にシェアして伝えることなんか出来ない…

そこが問題です。


どうやったらわかるだろう

どうやったら伝わるだろう

どうやったら

みんなが

見えないものと交流することが当たり前に本当に、出来るようになるだろう?

今まで何度か、小さいながらも、お話会やセッションをしたけれど

正直、解る人は解る、そういう人は最初から土台があった、でも、

本当に更地から来た人、私に「出来るようになるよね? 出来るようになりたい、でも今は出来ないから、出来るように教えて」と言って来た人は、結局「うーん…よくわかんない。やっぱり私には無理なのかな。私には才能がないのかな」で、諦めてしまうことが多かった。正直そうだった。

違う!人間はもともと、動物のようにテレパシーなんか当たり前だった。出来ない人なんか居ない!ほんとうにそう思っているので、実に悔しい。

その人に依頼心が強過ぎては私にも救い切れないけれど、そして「丸投げしないで自分でも努力してね、触手を延ばしてね、練習はしてね、自分でも「出来る」と信頼はしてね。」とは思うけれど、そうかといって、

「なんでわかんないの!?馬鹿じゃないの!?💢」

では(笑)、意味がない。

広がりがない。

何とかしたい。

新しい地球のために

何とかしたい。