今日は、こちらに参加させて頂きました❗

より「自分を知るため」の一貫として、占星術の講座に参加しての後で、少し遅れて到着してしまいましたがほとんどは聞くことができました。神さま、私の足さん、無事に運んでくれてありがとう❤️

宇咲愛さんを初めて生で拝見しましたが、思っていたよりも“大阪のおばちゃん”チックで(笑)、とても親しみやすい感じの方でした!✨おねがいWハート

会場に詰めかけた方々の中には、紘矢さん以外、たぶん知った顔は無かったのですが、そしてヒカルランドにも、愛さんのお勉強仲間周辺にも初めて参加したので知り合いはいないはずでしたが、何故かどのお顔も「お会いしたことがあるような」「どこかでお見かけしましたか?」といった印象がすごく強烈で、こんなにどの顔もどの顔も?っていうくらい、デジャヴ感半端無く、ものすごく不思議な感じがしました。

特に、一番最初に「あれっ?」と気づいたのが、レゴラスさんでした。「この人見たことある!」っと強烈に感じました。(実際には、お会いしたことも、写真を見たことも無い。)

一人や二人、そんな気がする人にお会いしたことはままありますが、会場の中に居る人のほとんど全員に対していっぺんにそう感じるなんて、実に初めての体験でした。

後でアシュタールが、紘矢さんを見て「懐かしい!金星で会ったことがある」と言ったとき、それかもな、と思いました。今日この会場に居られた皆さまに、別の人生の時にどこかでお会いしていたんだろうなと。それは金星だったのかもしれません。(アシュタールが宇咲愛さんを通して現れたときに、ビジョンが見えました。美しい夕暮れのような空と、ピンクの光に染まった海と、白い丸みを帯びた滑らかな塀と壁の、過ごしやすかった綺麗な家や、吹き抜けのエントランスや、美しい大きなモビールが飾ってあった、“懐かしい家”を、“思い出し”ました。私が“金星を去る時に残して行った”、居心地の良かった大好きな、“懐かしい家”のビジョンでした。そういうふうに感じた、としか表現できません。懐かしくて恋しくて、ノスタルジックな想いに、思わず涙が出ました。)



宇咲愛さんは、フルトランス状態に入ると、全くの別人になりました!

それまでの、若干上沼恵美子キャラが完全に消失して、日本語ではありますが、どこか外国人のおじさん?のような?少し不思議な外国訛りがあるかのような…さっきまでの愛さんとは全然違う話し方、キャラになってしまいました。それがアシュタールだったのです!

山川紘矢さんが、“アシュタールと”対談をされました。

そのようすは上の紘矢さんのブログにありますが、アシュタールはこんなことも、紘矢さんとの対談を通して言っておられました。

「私は“私のいない”地球を望んでいる。私が居なくてもやっていける地球、皆さんがそれぞれに宇宙の本質と繋がって、自分達だけでやっていける地球を望んでいる。皆すぐ、未来のことを私に訊きたがる。それについて私は答えないことにして居る。もし答えたらもっと訊いてくる。依存が生まれてしまう。人に訊くのではなく、自分が宇宙の本質と繋がって行くと良いのです。皆出来てるんです。認めないだけ。」

実はこれは、今日受けてきた占星術講座でも、強いメッセージとして出てきたことでした。

これからはますます、自分のことは自分で責任持って把握しておくことが大切な時代だということ。他人任せではいけない、役割分担は良いけれど(何もかも自分独りでやれっていうのとは違う)、得意なことは得意な人が担当すれば良いけれど、任せっきり、丸投げして全く関知していない、自分のことなのに他人事みたいにして把握していない、というのではちょっと違う(そういうやり方をしていると生きていけなくなる)、というようなことでした。

とても同じメッセージだな、と思いました。

自分に責任を持つ、というか、「神様と自分で生きていく」というか、依存しない生き方。それがとても問われる、ということ。

だからアシュタールも「私も頑張らないよ♪」と紘矢さんに言いました!(笑)

力入れて頑張らないで、「ゆるんで」いくのが、自然で、調和した状態、宇宙の本来のやり方なのですね。(笑)


不思議なものとか、宇宙の超意識とか、高次の存在たちと、“繋がることができるスゴい人”だとか、“そういうスゴい人に自分もなれるかな、なりたいな、ならなきゃ!”とか、そういうことではなく、

別の何かスゴいものになる、とか、ここではないどこか的なことではなく、

そのまんまの、今ある自分、今ある場所の、今のそこの自分。それを、慈しみ、味わい、体験することなのだと感じました。

問題や違和感があるように感じるのなら、どこがおかしいと思うの?どこがおかしいと自分は感じてるの?を、しっかり自分に訊き、向き合って尋ね、違和感を訴える自分の話をよく向き合って聞いてやる、をして、じゃあ“どうだったら”「いい♪」って感じるのか、把握して、そうなるように運べばいい。静かにそう望めばいい。「いい」と自分が思う状態にしたらいい。

心の照準を合わせておけばいい。
あとは自動操縦で任せる。

私たちのやることは、ただ「自分の行き先をしっかりナビに入力する、設定をする」(いくら優秀なナビでも、目的地を設定入力しなければ発揮しようがないw)

静かに、望む状態に周波数を合わせる。

照準を合わせる。もやっとではなく、はっきりと。

「戦争反対」と言うのは「目的地は“戦争”じゃない場所」って入力するようなもの。「じゃない」なんか入力されたって「じゃあどこ?」っていう。「目的地を入力してね」「目的地はどこなの?」っていう。「じゃない」は宇宙では無いのと同じ(聞こえない言葉)だから、「戦争」という名称だけが採用されてしまうことに。

だからそれを言うなら、「平和賛成!」って。

“目的地は「平和」です!“って、ちゃんとはっきり言う。

そういうことなのだと感じました。


戦争だけでなく、農薬やら環境破壊やら有害物質やら政治やらにしても、どこか他人事みたいな感覚で、悪事を暴くというか、

誰かを槍玉に挙げて「あの子あんなことやってるんだよ!僕はちゃんとやろうとしてるのに、あの子はやってないんだよ!悪いことしてるんだよ!私はいい子だけど、あの子は悪い子なんだよ!いーけないんだーいけないんだ!」というかんじで、「先生(社会規範)に言い付ける」みたいな、そう意識で陰謀説を唱えるみたいな人が居るけれど、

そういう反対運動よりも、

良い状態をさっさと始める

違うと思ったのならとっととさくっと捨てる、さっさと離れる

各自、順次、適宜、どんどん離れて

新しい良いことをさっさと黙って始める

古い違うことには、もう照準を合わせない

反対運動の否定の波動で古いものにエネルギーを注ぎ続けたり、そういう仲間といつまでも反対運動を楽しんで抵抗波動に没頭するのではなく、とっとと離れて楽しみの波動を出し始めてしまうことの方が、

まだ気づいていない人達にも早く気づきの波が波及するような気がします。

今日も反対運動に集うのを楽しみにしているようでは、いつまでも反対の仲間から抜けられない、いつまでも古い要らないものにエネルギーを与え続けることに。

もうとっとと直ちに新しいことを始めてしまう、今を境に。

それでも、ちゃんと皆、各自選択して着いて来るって。

波及。 良き波動は勝手に波及する。

それでも気がつかない人は、いつかその人のタイミングで気づくから、ほうっておいたらいいし、ほうっておいても大丈夫。

楽しく新しく気分よく始めて、始めた人達から楽しんでいると、

「ん?なになに?楽しそうね!?」

っと、自然に見る人は見て寄って来るって。

オムネクオネクも本で書いていましたが、大昔に金星では、ある日一斉に、人々が金融システム(貨幣経済のシステム)を捨てた日があったのだと。政府みたいなものがなにか言おうと、もう一切、ある日一斉に、誰も耳を貸さなかったので、止めるも何もなかったと。もう既成事実としていきなり始まった、いや始めた、そう決めた「決心した」のだと。皆ある日突然に一斉に、幸せのシステムを歩き出したのだと。その日が”金星が新しい世界を歩き出した栄光の素晴らしい日“という記念日になったのだと。

これを地球でも始めるには、各自が「自分はどうしたいのか」はっきりと認識する必要があります。

「どんな地球を私は望む!?」

はっきりさせて、決心すればいいだけ。

「だけ」なんだけど

「はっきり」「決心」が、なかなかまだ定まっていない人が多いらしい。(私もそう)

簡単だからこそ、皆で確実に取り組もう。
やらなきゃ形にならない。思わなきゃ形にならない。

だから「人に訊かない」で「自分に集中」してみよう。

自分の真の奥底の声を、よおく、聴いてみよう。

聞こえないのは、聞きたくないんだろう。

怖いから。

聞いてしまったら、慣れ親しんだ今ある何かを捨てなければならなくなるかもしれない。(捨てなければならないものとは、その権現とは、「エゴ」なんだけど。)慣れてるよ~慣れてんだよ~安心安定なんだよ~捨てるの怖いでしょ~? っていうものをこそ、実は「捨ててみ?」ってものなんだけどね。怖いけど、捨ててみたら、案外大丈夫、というか、大丈夫にすることができるもの、だったりするんだけどね。

…ちょっと途中から、私がまるでトランス状態みたいになって一気に書いてきてしまいましたが。

そんなことを受け取り、感じた、

今日の講演会
山川紘矢さん&宇咲愛さん&レゴラスさん
withアシュタール💙💚
でした♪

(実はこの会の帰り道、素敵なことが起こりました♪…「つづく」!)