(Thank you so much Mr.Robin Williams. I'm always with you.You are wonderful!!❤️❤️❤️❤️❤️)

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(私のビジョンの中で、ロビンウィリアムズは、茶色いチェックのネルのシャツを来て、じっと、静かに、微かに微笑むかのような、何の感情もないとにかく穏やかな表情で、顔を右に傾けこめかみにげんこつで杖をつき、本を読んでいました。しばらくそうしたあと、右手に読みかけの開いた本、左手に赤いリンゴを持ったまま、仰向けに顔と手を水面に出したまま、茶色いネルのシャツを来たまま、透明な美しい川の水の流れの中を静かに気楽に穏やかに頭から左の方へ向かって流れて行くところでした。「僕の映画 観てね♪」が、彼のメッセージでした。)



この出来事に誘われて、

ロビン・ウィリアムズの映画『グッド・ウィル・ハンティング』(マット・デイモンと共演)を観てみました。

これは賞を取ったりして有名な映画で、題名は聞いたことがありましたが、観たことはなかった!

とてもいい映画でした! 胸に響きました。

私なりに表現すれば、これは、
「自分の特徴を認めない、自分の価値に気がつかない、周りの人と違っている自分の特徴を受け入れられず、価値を見出せずに無視している人」の話。とでも言いましょうか、そんな映画です。

自分を過小評価していたり、何か拗ねて諦めているのですが、それにはそうなるしか仕方なかった理由があり、それは悪いことではなく、防衛装置なだけであり、そうした武装を解除して、自分の価値を認めて自ら目覚めるまでの過程を描く…などと言えば月並みですが、

その描写が、とても丁寧でリアルだと思いました。

ロビン・ウィリアムズのおはこといえばそうですが、エネルギッシュな笑いや感動的なお涙頂戴で引っ張り上げるのではないところが、すごく良かった。何かちょっと悲しそうな、おとなしい控えめな様子が、若い頃のロビンウィリアムズよりもっとずっとグッと来ました。^^

見ているこっちも、マット・デイモンと一緒に、すごく痛かったです。何が辛いのか、何が怖いのか、痛いほどよくわかりました。

きっと形や程度こそ違えど、こういう人はとても多いのだと思います、だからこそ多くの人に共感を呼んだのだと思います。

わー、今観られてほんとうに良かった!

かつてこの世でロビン・ウィリアムズだったスピリットさん! 教えてくれてほんっとうにありがとうございました!❤️❤️❤️(T∀T)

わたしが最近「もっと深く自分を知りたい」と、強烈にインプットしたため、たくさんのモノたちが協力してくれたのだと思います。

協力してくれたのは、神様や天使や精霊や、自分自身や、ハイアーセルフや、愛犬のラムちゃんや、ロビン・ウィリアムズの魂や、これまで出会ってくれた方達(の魂、幻影、生き霊w、思い、エネルギー←生きてる人も含むからね)…等、あらゆる形を取ってはいるものの、全部「同じ」もの、ソースの固まりというか、愛の海というか。私自身を含み、かつ取り囲む、世界の全て。そういうもの全てです。
みんなみんな、ありがとう。

何が一番良かったのかというと。

簡単にまとめると、次の二つを、更に深く、しっかり、実感したことです。

①自分と世界(宇宙、周りの全て)は、イコール、ひとつ、同じものだということ。

②死は忌み嫌い否定するものではないこと、死も生も越えて、魂は、永遠に漂い流れ旅する、平和なものであること。


ロビンもラムちゃんもそうなのですが

どんな形であれ、亡くなったこと、「死」というものを、いくらこちらがショックを受けたり悲しいからといって、マイナスなイメージで捉え続けないことが大切だな、ということです。

あんなにみんなに、まるで映画を通してほんとうにセラピーしてくれていたかのような、生きることや、愛や、笑いの大切さや、勇気や諦めないことや…いろいろな形の希望を教えてくれた、数々の賞にも輝いた有名な映画のトップスターの一人だった、そんなロビン・ウィリアムズが、鬱病に苦しんだ挙げ句、自宅で首を吊って自殺してしまった、というニュースは、多くの人を驚かせ、失望させ、落胆させたかもしれません。信じていた人に裏切られたかのような、なんだ、結局お前もそれか、とでもいうような、がっかり感が、世界を駆け巡ったかもしれません。そのせいで、彼の栄光や、せっかく遺してくれた素晴らしい映画さえ、少しでも人気が陰ったかもしれません。なんだ。結局自殺したんじゃん、嘘じゃん、虚構じゃん、だめじゃん、って。

私も正直、その一人だったかもしれません。
そういう人の波動に影響されるから、そういう人の作品には触れてはいけません、なんて、すごーく昔のスピ系師匠は、そんなことも言ったでしょう。

でも、違うのだと、今、はっきりわかりました。

宇宙や神の愛は、ほんとうに、私達人間なんかがとっても思い付けないほど、思いも及ばないほど、徹底的に、もう徹底的に、全てを愛で包み、全てを肯定して包み込み、黙って見守るものなんだと。その静寂の度合いが、どれ程のものかと。愛で包むなんていいますが、それは、その辺の偽セラピストのベタベタした押し付けがましい甘ったるさ、甘やかし、依存させる偽の抱き締め、同情、憐憫、あんなものは愛ではありません。(ゴメン、口が過ぎたね(笑)でもこれに腹立つ人は、自分の中に何が在るからか、よく考えてくださいね。それはあなたの仕事であり、私には関係ありません。)

ロビンは、表面的には、私達人間の世界から見た限りでは、心を患ったとか悩んだとか落ち込んだとか、自分で自分を手に掛けるという間違った残念な選択をしかたのように、良くなかったかのように、見えますが、

魂からしてみれば

学び終わったからもういいか。次いくか。

くらいのことで

自分で選択して扉を開けただけなのです。

あれだけ経験した人なのです

その勇気ある選択を、尊重すべきだと思います。《※》

もちろん、今、過ち(やはり私はまだ生きている身ですから、この世の人間ですから、この世の立場としては、「過ち」と言います。人間、そんなに慌てて自ら苦しい思いして死ななくたって、200年も生きはしないんですから、今せっかくのチャンスで頂いた肉体の世界、のんびり味わっておきゃいいんです。そんなに慌てなくたって、いつか嫌でもあの世へは行けるんですから、安心してのんびり待ちましょう♪この世が辛い?うまくやれない自分がうんざり?そんな気持ちであの世へ行ったっておんなじですよ。どこへ行ったって、自分のエネルギーからは逃げられません。自分=エネルギーそのものですからね。自ら、ここから、今いる場所、今在る自分のエネルギーそのものが変わらなければ。居る場所の問題じゃないんですから。この世でもあの世でもどこでも一緒です。)を犯そうとしている人に対しては、私はとりあえずは止めます。待て、ちゃんと考えたか?と、一応一旦は声は掛けます。でも、そうやって声をかけて欲しかっただけの人、構って欲しかっただけの人がほとんどですから、一花渡したら帰ります。あとは自分でやりな、ってね。当たり前です。甘ったれるなとかでもなく、無意味なことに私のエネルギー費やしたくないからです。そういう人って延々といくらでも要求してきますから、自家発電してもらわないときりがないのです。自分ではっとして我にかえって、いやいや慌てるところだったと、こちらへ一歩帰って来たら、あとはまたお迎えが来るまで頑張って歩いてこうぜ♪で、それぞれの道をそれぞれの歩巾とリズムでまた歩き出します。それでいいのです。近くでたくさんの人が歩いていたんだな、って、はっと周りを見て、あ、俺だけじゃないんだな、まあもう少し歩くか。と、思ってくれればいいのです。

いやいやずいぶん話が逸れてしまいました。

《※》へぐっと話を戻しますと、

もちろん、自殺を推奨はしませんが、

そういう選択をした人を、問題視したり忌み嫌ったり排除するのは、違う話だよなと

やりきって決断して卒業した人の選択なら尊重しましょう

というよりも、

私達がジャッジする必要ないじゃんな、と。

いくら最後は自ら逝ったって

ロビン・ウィリアムズの成した仕事は立派だった。

ジャック・マイヨールの成した仕事も立派だった。

彼らの仕事が、私達を今も助けてくれていることは、立派な、揺るぎのない、事実です。

彼らだけじゃない。

ミディアムシップで相談に見える方々のなかでも、愛する人が何故?何故?で悩んでこられる方も多けれども、彼らも、残された私達も何も悪くないと、声を大にして私は伝えたいのです。また、すごくすごく言いにくいし、世間に発言したら問題になってしまうから多くは語りませんが、たとえ殺されて亡くなった場合だってそうなのです。被害者加害者、どちらもかばえないのが実は本当のところなのです。(これを、生きている人に通じるように説明することに限界を感じているのが、今私がミディアムシップセッションをしていない大きな理由のひとつです。方法、タイミング共に、神様と模索中です。静かに待っています。お許し下さい。)


愛した家族だってペットだってアイドルだって、酷いことをした憎たらしいやつだって、何かを学ばせてくれた、そのために悪役を買って出てくれた天使。渦中にいるときはとってもそんな風には思えないけど、私達が思えないだけで、本当はどうしたって愛でしかない。悲しいくらい、愛でしかない。悲しいのは、私達がわからないから。それが本当は愛だということがわからないから。誰だって何だって、愛でしかない。だから、

居てくれたことに感謝

してくれたことに感謝

たとえどんな最期だったからって

どんなに私達を遺して悲しませたからって

どんな悲しみが起こったからって

素晴らしかった思い出は素晴らしいまま、汚れることはないし

起こったことは全て

私達が感じる側面が違うだけで

本当は 愛そのものでしかないのです。

それがわかるまで

本当に自分が愛に溶け込んでしまうまで

私達の魂はずーっと

旅を続けます。

旅のゴールは

愛に完全に溶け込んでもう何にもわからなくなる状態

そして再び旅が始まるのは

そんな愛の海のぬるさに飽きて

また刺激を味わいたくなるとき。

どんな形であれ、また「感覚」を味わいたくなったとき。

今生きている私達は、そうやって地球に来た。

だから、どんな感覚も、どんな感情も、何色でも

感じてはいけない感覚なんか、ない。