単純でいいんだと思う。
「いい」というのは、それで行けば「成功」に行き着くとか、そういうことではない。
「成功」なんてない。一見一瞬そう見えて、いつそれが災いに繋がるかもわからないんだし、
その時「成功だー」なんて喜んでいたことが、ずっとあとになって振り返ってみたら、その新しい「時」の不幸せの元になっていたなんてこともある
「こと」は永遠に流転なんだから
発展し変化し、姿形を変えていくものなんだから
結末なんか無い。
永遠と
延々と連なる今・今・今が、在るだけだ。
だからその「今」を
好きなようにすることしか、ないんだと思う。
自分の「好きなように」、作るしか、ないんだと思う。
気に入らないなら、どこがどう気にいらないのか、よく自分に問う。
それは「気にいらない」のではなく
「こうだったら気に入る」
「気に入る姿に気づくために、気に入る姿の裏返しを見せている」に過ぎない。
気に入らないことを避ける、そこから逃れることだけを動機にしない。それは「気に入らないこと」にフォーカスしているので、そっちが意識に入って来て、そっちへ行ってしまう。
自転車を漕ぎながら「溝に落ちまい」として溝を見ていると、見ている方へなぜだかハンドルが行ってしまうようなものだ(笑)
単純なんだと思う。
「好き」を追いかけて、流れていくだけでいいんだと思う。
その時々で、いいんだと思う。
先のことなんか考えたって、その通りに運ぶとは限らないんだから。
「この人と一緒に居たい」
「これが食べたい」
「なんとなくこの席に座りたい」
「人の役に立つことがしたい」
「そのためにはこの会社に入ったらいいんじゃないかと思う、ここに入りたい」
「あの人に褒められたい」
「英語を話せるようになりたい」
「役に立つとか関係なく、なんとなくカッコいい感じがして素敵だから、スペイン語を話せるようになりたい」
「うっ、なぜだかわからないが喘息になってしまった。快適な呼吸がしたい!」
「精霊と共に歩みたい」
「愛する人に出逢いたい」
「娘を幸せにしてやりたい」
「自由でありたい」
「踊りたい」
「歌いたい」
「笑いたい」
「今は泣きたい」
等等等。
各「好き」の間に、「でも」せめぎ合いが
生じることもあるかもしれないが
そこは難問クイズが出題されたとでも思って
なんとか潜り抜けるよう知恵を働かせるか
もう運に任せるか
どっちでもいいよ~受け入れるよ~と腹をくくるか(迷うってことは選べないんだからどっちでもいいということ)
力を抜いたら案外、横から違う道が開けるかもしれないし
どちらをとっても結局流転だから。永遠の中に、結末は無いから。
いつも「好き」に
波長を合わせよう
「好き」に、チューンナップしよう。
しようていうか
それ以外、何ができる。
(こんなこと書きながら、今、ボロボロボロボロ、涙が出る。私さんよ、エゴさんよ、いろいろあんのは、わかってンだ。承知の上で、それでも私(魂)は、私はあんた(エゴの私さん)を励ます。大丈夫だからだ。いつもそばにいて、共に歩む。我々はひとつ、一心同体少女隊だ。)
