だから、何が起こっても、

全部幻であって、

自分の中の何かに気づくこと
自分を知ることの

チャンスをもらったのだと思えば

何も怖くはないのです。

(また、怖いと思っても良いのです。)

(怖いと思うなら、「なぜ自分はこれを怖いのと感じるのか?」を、探ることです。ちなみにこれは、“怖がらないことを目的に”行うことではありません。)

怖いこと、嫌なことが「起こらないこと」ばかりが

「うまく行くということ」ではないし、

目指すことでもないのです。

ない、というか

そういうところは遥かに飛び越えて


いつもどんなときも

「自分の中に何が在るのか?」を

ただひたすら、見つめることが

一番重要で

やるべき唯一のこと

なのです。


嫌な奴なんか実は存在しない。
奴は幻で、実存しない。
奴は、あなたにあなた自身を気づかせるために現れた、“現象”に過ぎません。
現存する人間が、別の個体が、あなたをいじめるために実存するのではないのです。

奴なんかいない。
奴は幻です。
構ってはいけません。
構う必要も暇もあなたにはありません。

嫌な奴なんか放っておいて
もっと重要なことに集中しましょう。

なぜ奴という“現象”が現れたのか?
なぜ奴を見る羽目になったのか?
あなたの中の「何のエネルギーが」奴という現象を立ち上げたのか?

「寂しさ」でしょうか?
「自己卑下」でしょうか?
人より偉くありたいという階級意識でしょうか?(←こういうのはまだ浅いものです。掘り下げれば掘り下げるほど、源に下るほど、一言で表せるようなシンプルなエネルギーです。)

トラウマだとか過去の出来事なんかにはとらわれないでください。

それだって、過去に起きただけで、他者とのストーリーにすぎません、それだって過去に起きた「幻」です。今と同じです。トラウマも自分の感想にすぎないのです。

感想にとらわれてはなりません

感想はエゴの意見のひとつに過ぎません。

感想とエネルギーは違います。

感想は、反応です。後からあなたが勝手に作ったものです。

エネルギーが、原因です。

感想ではなく
感想が生んだものではなく

もっとその元の、源の

「エネルギー」を探してください。

これかな?これではないかな?

思い付くことを

辿っていってください。

これだ!っと来たときは、わかります。

わかったような気がするだけでどこかもうひとつ感動が薄いような、センサーの反応がいまひとつ振るわないのは、まだまだ違います。

ドンピシャの時は、必ずわかります。

得も言われぬ「これだ!」感が、その時が来ればわかります。

探してください。

自分の内側に集中してください。

瞑想してもいいし

もう何もかも忘れて、気楽に楽しく、何にも考えないでプラプラ過ごしても良いです。

こだわらないで、気分を変えて

好きなことでもするか

寝ちゃってください。

思わぬときに、ハッと来ます。

必ずつかめます。

自分の中に持っていたエネルギーに、気がつきます。

それは、誰が悪いのでもないし、そのエネルギー自体も、消してしまうべきものなんかではありません。何にも、誰にも、どこにも、罪はありません。ただ、それがそこに、あっただけです。

見つけたら、

味わってください。

ただ、感じてあげてください。

そのエネルギーの質を。


もしもそれが「寂しさ」だったら

(寂しさというのは、「誰かの」寂しさではありません。人には属していません。ただ単なる「寂しさ」という、漂うエネルギーです。だから安全です。とらわれることはありません。)

ああ、寂しさって、こういう雰囲気のエネルギーなんだ。色に例えたらこんな色だ。

「寂しさ」というエネルギーに照準を合わせている間に、花や、ある風景など、脈絡のないことが浮かぶかもしれません。それらを、エネルギー「寂しさちゃん」が伝えてきてくれる、言葉だと思って、聞いてあげてください。同情もアドバイスもしないで、ただ、「あ、そうなの。」と、聞いて、見てあげてください。いろんなことを伝えて見せて言ってくるでしょう。

エネルギー「寂しさちゃん」は、ひととおり聞いてもらうと、気が済んで、おとなしくなり、どこかへ居なくなります。

他のエネルギーもそう。

自分の奥底に居た子(何らかの「エネルギーちゃん」)に、気づいてやって、言葉にただ、耳を傾けてやってください。

これを、あなたも私も、人間皆でやるのです。

地球が、浄化のパラダイスになります。

人間が、感情や感想を持ったり、幻や夢を見る(=感情渦巻く人間界を作り出す)のは、

このように

奥底の「エネルギーちゃんたち」に気づき、それを解放してやることが

使命だったからかもしれません。