なんだか壮大なようなテーマで書いてはいますが(でもその通りだから)、
それは、なんだか遠くの話みたいなことばかりでなく(別に遠くはないのです。触れ慣れていないだけで、どれも全然この身の上の、超・身近な話なのです)、
昨日はこんなことを教えてくれました。(笑)
助かる☆
不安定な天候や気温のせいか、
心身ともに、調子を崩している人が多いようです。私もその一人。
「五月病」なんて言葉もちらほら目に耳にします。
大学では、この時期に中退する学生が、ここ数年でだいぶ増えていることが問題になってきているそうですが
程度の差こそあれ
私もなんだか、特に理由はないけれど、だるい。単純に、やる気が出ない。
自分が、心身ともに、ぼわあ~っと、拡散というか弛んできて、
中心からぼわあ~…っと…粒子レベルで広がって、体の中心点から離れて散っていってしまうかのような。
空気中の湿気に、ユルユルモヤモヤぼわぼわと、溶けてしまうかのような
「シャキッとせん」感じがします。
中心にギュッと固めたいような
熱い夏の大気が待ち遠しいような
サウナでギュッと焼き固めたいような(サウナ苦手ですが)
「なんかだるい」「シャキッとせん」感じが不快で、これを解消したい。
解消したいのは山々ですが、その方法を考える脳ミソさえ、ぼわっと弛んでまとまりません(笑)。
これは自力では無理よな、かといって、誰か人に話すのも、その話しを伝える力さえもはやぼわぼわ(笑)
あんまり妙なヒーリングとか余計なものを付加するのは嫌だし。
その気持ちを、相手を尊重しながら丁重にお断りする場面は、私の場合はものすごくエネルギーを消耗するので、避けたい。
こういうときは、自力のようで自力ではない、
「ハイアーセルフ」(高次元、Sauceに繋がる、自分の一部分)に聞くのが一番!!
(ハイアーセルフは誰にでも備わっています。)
願い、教えを乞うと、断片的な言葉やイメージで、こんな答えを返してくれました。
辛いもの
レンコン
「レンコンと夏野菜の黒酢あんかけだよ」と。
うまく説明するのは難しいかもしれませんが、
これは単に私が自分で夕飯のメニューを考えて出す答えと、ちょっとだけ感覚が違いました。
(脳はボワボワでそんなこと考えられない上、事実考えてみたけれど思い付かなかったw)
ちょっと意識が違うだけ、
質問の仕方、
答えへのアプローチの仕方、
答えを求める先というか
どういうふうに答えを求めるかが、
ほんのちょっとだけ、ニュアンスが違うだけなのです。
これ、スポーツの時の説明と似ています。
たとえばテニスラケットで巧く狙った方向へボールを打って返す方法をコーチが教えるのに、いろいろな言い方(アプローチ)があり、ほんとうに微妙な、ちょっとした加減の違いをどう伝えるかは、コーチの言葉のセンスにかかっていて、そのちょっとした違いにより、出来る出来ない、飲み込める飲み込めないが、格段に差が付く… テニスでなくとも、体育とかで、何かのスポーツのコツを教わっていて、そんな経験ありませんか?
「ラケットの面の中心に当てる」は基本よく言われますが、それだけ守っても巧くいかないとき。
「体の真横で当てる」
「打ちたい方向に、鏡で光を跳ね返す感覚(ラケットを鏡だと思って)」
「“打つ”というよりも“当てる”」
「ボールにラケットを当てる瞬間に、一瞬、ラケットを“ぐっ”と強く握る」
「打った後、腕を止めないでラケットを振り切る」
「ラケットを振り切るときに、最後、肘で自分の口を隠す感覚で。(その肘の先は、ボールを打ちたい方向へ向ける)」
「ラケットを降るコースは、たとえば長い会議用の机の上に1列に並んだビール瓶をラケットでザーっとなぎ倒す感じにすると、振り上げてしまってロブ(=高く上に打ち上げること)にならない」
等等々…
言葉にすると、長くてまどろっこしいような、何それ?みたいな気が一瞬しますが、これを頭に覚えておいて、いざボールが来た、打つ、の一瞬間に、頭を高速カメラのようにパタパタと働かせ、一個ずつ丁寧に実行してみると、ある時出来た瞬間に「あ、ほんとだ❤️(笑)」ってなるのです。
(そこまでできるには、そこまで速く頭も体も連動させるには、また、それを考えずに感覚にまで落とし込むには、もちろん練習が必要)
スポーツ、たとえばテニスの場合はこんなかんじ↑ですが、
自分の頭で考えてアイディアをひねり出すのと、「Sauceと繋がる」「ハイアーセルフに聞く」というのの違いを説明するとしたら、それが先程書いたように
ちょっと意識が違うだけ、
質問の仕方、
答えへのアプローチの仕方、
答えを求める先というか
どういうふうに答えを求めるかが、
ほんのちょっとだけ、ニュアンスが違うだけなのです。
となります。
つまり
「一歩置く」
「自分(のエゴとか、都合とか、体調とか。この世の自分の感覚、とでもいうようなもの)から離れて、宇宙に、上の人に、答えを委ねる感じ」
「文句を並べるのではなく、だから結局“どうしたい”、“どうなりたいのか”を、はっきりさせ、そうなる方法を教えてください、と言う。」
等です。
先に文句だけ並べる人が圧倒的に多いのです。
「このたくさんの文句を、わかってくれます?私はこんなに嫌な思いをしているのだから、当然救ってくれますよね?こんなに私が辛くて悲しい思いをしているのがわかれば、かわいそうでしょ?だったら自動的に、かわいそうな私を救う方法を、自動的に教えてくれるのが当たり前の流れですよね?」的な。
「つまり自分は何を望んでいるか、どうなることを願っているのか」を、一切言わないで、文句だけ並べた時点で、自分の願いを察してくれて当然だろう、みたいな。
(何でじゃ?(ンナワケねーだろ)って、読んでいて思いません?)
“察してちゃん”では、神には通じないのです。神や宇宙や上は、文句のところだけ聞いていて、言葉は全部「オーダー」だと思って、文句のところをオーダーと判断し、ますます持って来ますww
なので、文句のところは一切合切省き、文句のところは一切触れず、「だから結局私はどうしたい(○○○な状態なりたい)」だけを、はっきりさせ、明確にそれを伝えます。そこをオーダーします。
「こういうふうに私はなりたい。その方法を教えていただけませんか?」って。
一歩置くのです。
「私はどうしたらいいんだ…」と
独り頭を抱えて下を向いてぐるぐる歩き回るのではなく
ふっと気を外して、空(宇宙)を見上げ、
「神さま、どうしたらいいと思いますか?」
と問うてみる。
それは結局は自分の内側に聞いているのと同じことなのですが(自分の内側が実は天に神に宇宙に通じているから)、
でもアプローチがちがうの、態度が違うの、姿勢が違うの、わかりますよね?
やってみてください。
そして、スポーツと同じ、
わかるまでにはもちろん
「練習が必要です。」😊
「ナンとかカントカの“黒酢あんかけ”」みたいなやつ。美味しいです🎵

