予言とか

ビジョンは

「予め定められている避けられない運命を、先取りして覗くことができたもの」

ではありません。

今そこにあるエネルギーを見ているものです。

「心の底で、こんなふうに感じているね」

「こんなかんじの風景になぞらえることの出来るような、エネルギーを、今そこに持っているね」

といった

そこにあるエネルギーを象徴するものを

映像やイメージに変換して見ているのです。

喩え話のようなものである場合もあれば

そのエネルギーが現象化したら当然現れるであろう、物とか人とか風景とかをキャッチしている

なので

そのエネルギーを持ったまんまでいれば、同調してそれにふさわしい状況も先々引き寄せるでしょう、その「このままなら同調して当然引き寄せるでろう状況や風景」

それが予言やビジョンです。


なので

誰か予言者みたいな人に言われたこととかを、ただ

「どうしよう、これからこんな目に遭うんだ」「○○な運命が待っているんだ」と怖れたり、嘆き悲しんだり、逆に良い未来の上に安心しきってアグラをかいたりするのではなく、

「ああ今はそういうエネルギーで私は在るんだなぁ」眺めるだけなのです。

それが気持ちの良いエネルギーであれば(=そこから同調して引き寄せられる未来の可能性ストーリーが心地好いものだったなら)、そのエネルギーの感覚をよく覚えておくことです。

これが自分の気に入る本来の在りたいエネルギー、正しいアライメントなんだな、と、覚えておくことです。

ズレて気分が悪くなったとき、正しいアライメントを思い出して、そこへ戻るようにします。


予言やビジョンが、もしも気に入らないものであった場合なら、同調したくない場合なら、

今そこに持っているエネルギーを変えれば良いのです。

サッと離れて、違うエネルギーにアクセスしたり、

違うエネルギーを、自分の内から作り出せば良いのです。

(何か物を持つと良いよ、なんていうのも、良いエネルギーと同調するためにそばに置いたり身に付けろという意味なので、本当に良いエネルギー物ならば、あながち冗談でもないのかもしれませんが、ただ物を持っていたって、自分のエネルギーが内側から本当に変わらなければ、物を持っていても同調できないか、離れていってしまう(なくすとか割れるとか)とにかく自分が本当に内側から変わらなければ、物によるヘルプも意味はないのです。)

エネルギーを変える。

簡単ではないと思えば簡単ではないし

簡単だと思えば簡単です。


今持っているエネルギー、違うのを希望するなら、

希望する通りのエネルギーを、ただ想えば良いのです。

希望の通りのアイディアに

パッとアクセスするには

まず直ちに、頭に思い浮かべれば良いのです。

夢見るみたいに

ただ想像すれば良いのです

想像は今すぐ直ちにできます

そしてそれでよいのです

想っている間じゅう

あなたは今その世界にいます

その世界に居続けてください。


現実に戻っちゃう?


どれが現実かなんて
どれが真実かなんて

この物質と触覚の世界が本当だなんて

想像の世界はリアルじゃないなんて

なぜわかりますか?どう証明できますか?

あなたがリアルだなんて

根拠はありません(笑)。

想像した世界、夢の中の世界のほうが、
もしかしたら「リアル」かもしれませんよ?

魂や見えない世界や夢の世界を、信じないのと同じくらい

物質と見える世界だって、信じる根拠はありません(笑)。どちらの世界も、単なる「感覚」に過ぎません。

どちらの世界も同じように
「感覚」でしかありません。

普段使っていないから鈍ってキャッチしにくいか

しょっちゅう使っているから分かりやすいか

それだけの違いです。


それにまず、現実であること

(あなたが何を以て「現実」と言っているのか?ですが。たぶん、自分が普段、慣れ親しんでよく使っている感覚、自分にキャッチしやすい世界のこと、分かりやすい親しみのある、重量のある世界のことを、「現実」と呼んでいるのだと思いますが)

「現実だけに価値がある」と、なぜ思うのでしょう?

自分がキャッチしやすい世界、
自分の認識できる世界、
だけが、
真実というわけではありません。

自分にはキャッチできなくても
自分には見えなくても

存在しないというわけではありません。



エネルギーは流動的です。

物質よりも大きくて自由です。

物質よりも範疇は大きいけれど、粒子はずっと細かいのです。だから制限なくどこへでも行けます。どんなふうにもどんなかんじにも変化します。


まとめます。

予言やビジョンは、今そこにあるエネルギーを切り取って、現象に例えて見せたものに過ぎません。

だから、予言やビジョンには拘る(こだわる)ことなく、いつもただ「今どういうエネルギーで在るか」を見つめていましょう。

良いか悪いかの判断さえ要りません。

ただエネルギーの流動を、こうなるとどうなるかを、ずっと観察していましょう。「こうしたいな」の意志が芽生えたら、やってみましょう。叶う叶わないも関係ありません。やって良かったか悪かったかも関係ありません。
ただ延々と
眺める
観察する
感じる
やってみる

また眺める…

それのくりかえし。

それだけでよいそうです。