今朝

昔実家で飼っていた小鳥たちの夢を見ました。

最高で9羽同時に居たことがありますが

全員出てきて

それぞれの特徴や、個性や、性格や好み、
お目目の黒さや丸さや輝きやそれぞれの大きさや形、毛並み(羽毛の感じ)、色まで、はっきりと見えましたし

この子とこの子とはケンカになるから離しておこうとかの組み合わせなど

小さな感覚を、よく覚えたいたなと自分でも思うくらい、リアルに思い出しました。

思い出したというよりも、

夢の中でみんなに水浴びをさせたり擦り餌を与えていたのですが、それをやりながら、私の体が動きを覚えていたという感じでした。

彼らが居たのは、現実にはもう25年くらい前のことです。

こんな細かいことまで、もう何年も思い出した試しはありませんでしたが

こんなに鮮やかに

記憶の引き出しには、ちゃんとしまわれていたのですね。

久しぶりに、みんなとてもとても、可愛かったです。(ありがとうねあひるラブラブ

なぜ今こんな夢を見たのだろう?

夢というのは、脳が記憶を整理するときの新陳代謝の、副産物の現象だといわれます。

断捨離の時にやるやつですが、
「一度全部出してみる」。
これかもしれません(笑)。

ちゃんとあるよ、愛はちゃんと大切にしまってあるよ。安心して忘れていていいよ。


 ・  ・  ・


大切な人との死別を経験した人で

なんだかまるで

「いつまでも悲しみ続けることが美徳・義理・義務であるかのように」思っている人がいます。

それは違うと思います。

自由ですが、それは思い込みです。

別に止(と)めはしませんが

悲しみたいのなら好きなだけ気が済むまで悲しめばいい。


けれども

実はもう既に立ち直れているのに、

いつまでも、「悲しんでいなきゃいけない」と、それがまるで愛の証、操(みさお)ででもあるかのように思っていたり、

あるいは、

本人ではなく、周りがそう思っている、「かわいそうねえ」といつまでも御悔やみを言うことを、深層心理として“楽しみにしている”人が周りに居る、その波動を噛んで、自分の波動の中に取り込んでしまって、自分がそう思っているかのように勘違いして、

悲しみを手放さない人もいます。


悲しみ続けることは義理立てにもなりませんし美徳でもありません。亡くなった方の望むことでもありません。

亡くなった方の魂はとっとと次へ行っています。次の世界のためにそれなりに忙しいのです。

卒業した人、巣立った人を、

いつまでも引き留めて重石になるのは止しましょう。

共に幸せになるためにも。

全ては流転します。

微笑んで
次へ行きましょう。

思い出は魂にキープされています。

安心して、普段の頭では忘れてしまいましょう。

お互いに 
自分の「今・ここ」に戻りましょう

❤️🌈天使ラブラブ