前の記事(→)に書いた、

「前世療法とはどういうものか」という内容について、私の言葉による解説を述べた記述;

>こんなことが昔ありました、 あなた(の魂)はそれを、不当な屈辱と感じているかもしれないけれど、それはこういう仕組みで起こったことです、と、俯瞰して眺めることによって理解でき、同時に、それはもう終わったことで、今はもう安全だと知ってね、と。  これが前世療法の意味です。  何か悪いものを取り去るための行為では、無いのです。  ただ安心を知る ための現象、ツールに過ぎないのだと。 



なぜ、前世のストーリーを思い出して見るだけで、追体現するだけで、トラウマが癒されるのか?が、不思議でしたが、


安全なところ(その人生から離れた、つまり今。)で、逃げずにごまかさずに、もう一度、トラウマとなっていたその体験を意識的に味わい直してみる、しっかり向き合って見つめる、光を当てる、俯瞰しながら、事の次第を、起こった仕組みを理解する、

そして

もう大丈夫なんだ、仕方がなかったんだ、あれがあの時なりのベストであり、必要必然だったんだ、関わる人たち全員に尤もな理由があり、仕方の無いことだったんだ、そして終わったことなんだ、幻なんだ、自分の思いが作り出した単なる現象だったんだ、この世は、宇宙は、全て、各自の思いが作り出している幻(現象)の集まりなんだ、だから大丈夫だ、安心しろ、いわば全部が“夢”(現実は夢)なんだ…と

しっかり自分の中に落とし込むことで、

安心することができるのだと

わかりました。


違和感や、問題に、たとえ何だかはっきりしなくとも、何かモヤモヤした変な気持ちに、光を当てること、見つめることは

それだけで癒しになるのだと

改めてよくわかりました。

「病気は、見破った時点で、8割治ったも同然」

というのも、よくわかります。


解決策が見えなくてもいい、見えるとは限らないし、解決策を導くことが目的ではない

でも、光を当てること、目を向けることをすると

なんだかわからないけれど解決してしまう。

そういうことは、あるのです。

(女性のお喋りはこれに近いのかもしれません。女性は直感的に本能的にまだそれを覚えていて、“たわいのないお喋り”という、男性にはおよそ理解しがたいツールを、いまだに使いこなすことが出来るのかもしれません。)

前世療法と同じように、もうひとつ、

この “光を当てる、目を向ける解決方法” として挙げられるのが、

『曼荼羅アート』です。

私がかねてより時折このブログでもご紹介させて頂いた『「れー夢。式」曼荼羅パステルアート』もそうですし、

最近、NHKで数ヵ月に渡って放送中の番組でも紹介されている『曼荼羅塗り絵』も、手軽な方法です。

同じ図柄であるのに、塗る人によって、全く違うものに仕上がる。配色もタッチも、同じ図柄だろうか?と一瞬見まごうほど、違ったものが出現する。

れー夢。式 であれば、たとえ同じ型、同じ色を使って描いたとしても、三者三様、全く違った作品が出現します。

そしてその違いは、

描いた人、塗った人の、深層心理の反映である、と。


ここで大切なのは、

深層心理の分析や、批評や、何かを問題視したり、それをあたかも悪と見なしてそれを改善する策を探したり、しないことです。

自分自身であれ他人からであれ、批評や判断(判定)をされると、嫌な気分になることもあるかもしれませんが、

そんなことはする必要はないのです。

ただ、描いてみればいいだけ。

描いたものを「ああそう。」と、眺めて、拘(こだわ)らないことです。

表面に浮かび上がらせた、見てみた、それだけで、もう十分なのです。

描いた作品は、なんならすぐに捨てちゃったって構わないくらいです。(もちろん、楽しく一生懸命に夢中に描いた物には“情”が湧きますから、それはそれで無理に捨てたりなどせず、大事に可愛がって取っておけばよいのですが、捨てちゃっても構わないくらい拘る必要がない、という意味です。)

いつも気が澄むように生きることです。

無視はしない。見る。目を向ける。でも、
「あ、そう。」で良いのです。

目を向けてもらえた事がわかれば、“問題”は自力で勝手に解決します。(ここで“問題”は、擬人化した、人格化した、主語です。私の、誰かの“問題”ではなく、“問題君本人”が、愛=光=意識=エネルギーを向けられると、「わかってもらえた」となると、勝手に消滅することがある、ということです。)

手強い場合もありますが、まずは初め、基本は、無いことにしないことです。見て見ぬふりをしない、無視して埋めてしまわないことです。それをすると、わかってもらえるまで、長引きます。

病気の初期症状なんかもそうです。

熱なら鼻水やらかゆみがちょっと出たからといって、すぐにその症状だけを薬によって鎮めてしまい、体からの信号・メッセージを葬り去って無視すると、根本的な問題を、わかってもらえるまで、目を向けて気づいてもらえるまで、少しずつ声を大きくして、また出てきます。これを繰り返して症状の声が大きくなることを「拗らせる(こじらせる)」と言います。

手偏に幼いと書きます。


瞑想したり、夢の中で、過去のストーリーを思い出して見ること。

意味を考えない幾何学模様に無意識な色の配置をして遊ぶこと。

無意識を遊ばせて、光を当ててあげましょう。

何気ない遊びを、無意識の放牧を

楽しんで行いましょう。

自分の中の、幼い子供を、自由に遊ばせましょう。時々解放して見つめてあげましょう。

判断することなしに。