「バカバカしく見えてもいい」
開き直りともいいますが
これ、最強よね。
自分はこう見えているはずだ、とか
きっとみんなこう思っているんだろう(だからそれにある程度合わせないと変に見える→変に見えると受け入れられないだろう=恐れ)
知ってるはずなのに
無意識に、やってたよまだ!ww
知ってる人はもうある程度は知ってると思うけど、それでもまだまだ全然、あなた(誰?ww)が思っているようなものではなく(←何故って、この世で誰にも見せたことがないから)
私は、実は、メチャクチャおかしい。
普通(自分の中での自然な状態)の、ありのまんまの私でいたら、絶対に社会には入れない。←思い込みかもしれないけれど、そう思い込んだにはそれなりの尤もな理由や根拠があるわけです。
尤もな理由があったのは確かだけれど、
それを丸ごと鵜呑みにし受け入れる必要は、実は無いのですね。
覆しても構わないんだ。
どこを受けとるかも、どこを無視するかも、どこを採用するかも、どこを信じるかも信じないかも、ぜーーーーんぶ、自由なんだ。
友達なんか一人もいなくなるかもしれない。
危険だもん。怖いもん。こんな私と居たら。
でも、べつに良くね?
友達って、絶対に要ります?
居て大いに良し、居なくて大いに良し。
孤独が嫌だからってかっこつけていたって、
そのうち無理したぎこちない自分を嫌いになって、
そういう自分が心地よくないから、人が居なけれゃいいんだとか言い出して、人のせいにし出して、人を窮屈に感じ出して、結局人嫌いになって、自ら孤独を選ぶようになる。そんなのは時間の問題さ。
だったら、
人が居ようと居まいと、そんなことは考えないで、
好きな自分で最初からいりゃあいい。
好きな自分と、一緒にいりゃあいい。
好きでも嫌いでも、自分からは離れられない。
自分自身はいつも、一緒に居る。
人なんか、孤独かどうかなんて二の次なんだよ。
「人は一人じゃ生きていけない」なんて、もっともらしくてかっこよさげで有名でポピュラーな言い回しだけど、
文脈を考えろってンだ。
役割分担に協力するということと
迎合するとかしないとか、想い合うとか、そういうこととは、別の話だ。
何でも、必ずしもオール100パーで採用する必要はない。
文脈なんだよね。
あるいは、案外、こんな私と居ても、オカシイなりに、得るところも多いかもしれないじゃない? こんな私を光の力に出来る、更なる変態(ツワモノ)が(失礼ww)、どこかにいるかもしれない。イヤいるに決まってる。宇宙は広いんだから。人間でもいいし、もしかして人間じゃなくなっていい。
驚くほど、自由な時代になったんだ。
地球も変わったんだ。
いくらスピリチュアルが流行っていたって
その中でもやはり、人間のすること、
全員自由で、かつ同時に
全員しがらみのなかに居て、
おかしいやつもいれば、全てアリとも言える。
たとえスピリチュアルとか宇宙とか系統の仲間の主流が言ってることと、万が一違ったって
変なことをキャッチしたって、仕方ないし、自由だ。
人を惑わさなければいい。
自分の中で、利用し、処理し、自分の成長のためだけに使えばいいんだ。
いつか誰かがそれを真似してもパクっても、それでそいつが幸せになるなら全然構わないし、
逆に変な理解と利用のしかたをしてそいつがポシャっても、知ったこっちゃない。
恐れず発表、表現するのは、可能性や多様性のためには、良いことなんだろう。
自動書記なんかもバンバン来るけど、
こんなことは、内容も、人に発表することじゃないと思うし、妬まれたり批評されたりするのも嫌だし、変に真に受けられても困るので、一切出さなかったけど、(同じ理由でセッションも今全てお休み中です)
上が教えくれるには、
そういう小手先でなく、
自分を認めたり、堂々と楽しく開示したりできるかどうか、そのくらい自由に、柔軟に、軽やかに、自分を信頼していられるかどうか、それが重要なんだと。
私が書き出す内容とか、その真偽とか、そんなことはどうでもいいらしい。
私が、どんなに「変な自分であっても」認めて愛して堂々と味方してやれるか
上は、そこを試しているんだそうだ。
最初はぎこちないだろう。
今まで、怖がって、恐れ故にカッコつけて、飾って、媚びて、出してこなかったんだから。
最初はぎこちないだろう。
でも、堂々とやってるうちに
嵐(批判やジャッジの嵐=自分の中の迷いや恐れや葛藤)を越えた先に、
必ず、これだーっ!という
光でしかない世界が
必ず見えてくる。
それはもうはっきり見えてる。
あとは、体現するかどうかだし
してもしなくてもどっちでもいいのだ。
世間に発表されて脚光と喝采を浴びて有名になり受け入れられるストーリーは、成功談だけだけど
それは氷山の一角で
その影には9割の失敗と何でもない体験が沈んでいて
しかもその9割は実は大切でめっちゃ必要な9割なのだから。
その9割が
見えている1割を支える役をしている
9割のダメとカスがなければ
輝く1割も存在できない。
敢えてダメとかカスとかいうマイナスな言葉を敢えて使ったが
今ここで引っ掛かった人、その感覚がジャッジです!
全てを受け入れるということが
どれほど透明で、無味無臭で、味気なくつまらないことか、
どれほど人間が、
味つき色つきの世界に慣れきり浸りきり、
なんならそのものであることか。
退屈だから生まれてきたのだ。
魂だけの世界、平和の、光の世界が
結局退屈だったから、生まれてきたのだ、全てを味わうために。
開き直って
飛び出すスピード、上げてみませんか?