おはようございます。
今日もご訪問下さりありがとうございます💝
「世界を音で観ることで何とでも会話する専門家」兼
「天国の大切な方やペットちゃんとの会話の橋渡し~ミディアムシップセラピスト」兼
「曼荼羅アート色彩研究家」の
リエラ弘子です🍀
幸せに楽に生きるには、
主体性を持つことだと思います。
昔は、私もいわゆる「虚弱体質」でした。
憑依体質とも言いますし、チャネラーとも言いますし、共感力があるっちゃありますが、
コントロールできなければダメなのです。
コントロールができなければ、ただの虚弱体質です。
その昔、私がどんなだったかといえば
(注※ 今、これは“過去の私自身に対して言ってみています”が、ものすごく痛いですしキツいです。当時は人に言われて大変傷付きもしましたが、今では、これは本当のことだと心から解りますし、あの当時よく言って下さったとも思います。おかげで徐々にではありますが「虚弱体質」から抜け出せたのです。下を読んでカチンと来た人が居たら、それは図星だからですし、自分がそんなチャチな人間だと認めたくない思いが強い人は、傷付いたことを自分自身に隠す(本当はざわざわしているくせに「私は傷付いてないわ☆平気だもーん♪」とうそぶく)でしょう。誰に申し開きも証明もする必要もありませんから、もしザワザワしたのなら、私に反論なんかしていないで(←時間と労力の無駄)ご自身の中でひとりで自分に正直に向き合ってみてください。自分を責めることなく。治ることや治すことよりもまず「気づいていること」が一番大事なのです。愛する自分のためです。↓)
いわゆる不思議なこと、こことは違う世界に、親しむことができる自分を、ひけらかしこそしなくとも、どこかで秘かに偉い・すごいとでも思っていた(その時は自覚はしていなかった)、自分は普通の(普通のって何だよな)人とは違うということを、まるでその特徴のせいで自分は悲劇に見舞われたとでも言うかのような、被害者面して、悲劇のヒロインを演じて、可愛そうな人アピール、察して助けてアピールしているくせに、実は秘かに無意識にでも自慢であり、宝にしていて、そこに自分で気づかないふりをしていた。(ほんとに嫌なら放せるのにさ。抱えて放さないのは実は大事にしているからなんだ。放せないんじゃなくて放さないんだ。手放さないのは大事にしている自分なんだ。私自然にこうなんですぅ、困っちゃーう、嫌になっちゃいますぅ…ごめん、馬鹿じゃないの(笑)(-_- ))見えない世界に敏感であるという特徴を、それを珍しがられたり羨ましがられたりするのが実は心地よかった、特徴はどうしようもない事実だとしても、それに対して自他共に過剰に反応していた、過剰に反応することを自他共に“負のスパイラル的に”助長しかつ放置していた。…
↑こういうのを「虚弱体質」といいます。
もはや「え?なに、自慢?」って感じに「僕は(私は)敏感で困るんですー」とか言う人、たくさんいます。イラッとはしませんが、笑ってしまいます。昔は、イラッとしていました。自分もそうだったからです。自分を鏡で見せられて、同族嫌悪というか、抜け出したいくせにそれは自分で、どうしようもないくらい自分自身で、見せつけられて嫌だったから過剰に反応したのです。私はこんなもんじゃない、一緒にすんな!っと、顕在意識や頭ではわかりませんでしたが、今思えば、魂はわかっていたからこそ、「苛立ち」「拒否反応」「否定」「アレルギー」という現象として、現れていたのだなとわかります。だから先に書いたのです。カチンと来た人は図星だからですよと。
「世界は自分で創ってる」とか「世界は自分の鏡」だというのは、こういうことです。ホログラムとして自分を見せられているだけで、私達がそれに対して勝手に感想を持っているのです。自分の好きなように勝手に反応しているのです。反応が、また現象化し、現れた現実にまた意識が反応して、その意識がまた次の展開を現象化する。これのくりかえしです。
この輪廻を抜け出すためには、場所や事情や登場人物も含め、今居る環境を変えたければ、自分の意識が変わるしかないというのはこういうことです。さとうみつろう氏の言う「世界を先に笑う」鏡の中の人を笑わせたければ、ヤツ(自分なんですけど)が笑うのを待っていてもだめだ、自分が先に笑えば鏡の中のヤツも笑う、って話です。
話を戻します。
憑依体質であったとしても、虚弱体質である必要はありません。両者に健康的な境界線を引いてきちんと分けることが、「コントロール」です。
コントロールをするために必要な第一歩は、
「人のせいにしない」これに尽きます。
私がこんななのは神様のお導きで神様のせいで、私はホントは嫌なんですけど、あちらのかたがやってっておっしゃるから、しょうがないんで受け入れてるんですー、見えない世界に繋がっていて持ってかれて敏感で、気を付けないと憑依されちゃうんですー(ホント何様?(笑))
そんなふうに言うのをやめることです。
「自分の責任だ」とがっちり受けて立て、ということです。
何でも、「私はやるんです。」と言う。宣言、コミットする、ということです。
虚弱の人はこれをしません。
使命だからとか言います。
使命なんて、どこかから降ってくることでも与えられることでもありません。もしそれっぽいことが来ても、嫌だったら断っていいのです(笑)。バチなんか当てません。バチっぽいことが起きたとしたら、それは自分の罪悪感やビクビクした波動が招いた「ほら見ろ」現象です。神様ではなく、実は自分が、バチみたいなことが起こってほしかったんです。人のせいにできるから。やりたくなかったのも断ったのも自分なのに、それでいいのに、罪悪感を抱いた自分を処理しきれなくて、神やら鬼やら悪魔やら、何か他の者かのせいにしたかっただけです。全部、自分の発信です。使命なんて、見つけるとは言いますが、自分の中にあるのです。掘り出すだけです。冒険して探しに言っても、冒険する先は実は自分の体内です。
だから「自分を知ることが生きること」なのです。これに尽きるのだと、ようやく最近ばっちり入りました。
こういう体質の自分を、自分が、がっつり受け止め受け入れることです。しょーがないんだと開き直って、飼い慣らし、面倒見てやることです。自分を愛するってそういうことだと思います。
神様やら上のかたに選ばれた?選民思想?他人がそんなことしません。何様ですか?自分でやりますと選んでそうなったのです。責任を持つとはそういうことです。
神や高次の存在だって他人です。ひとつでありながらも、私達は他人です。担当があるという意味です。ここでいう「他人」とは、それぞれに担当分野、受け持ちの仕事があるということです。ワンネスでありながら、各分野を受け持って独立しているのです。高次だからって自分の担当を明け渡してはならないのです。それはなんなら越権行為です。
憑依体質なのはそうなのでしょう、それはしかたありませんが、そんなことは単なる特徴です。良いでも悪いでも変でもすごいでも、卑下することでも威張ることでもありません。
単なる特徴のひとつにすぎません。
活かして役立てこそすれ、気にしないことです。
今日も誠に長くなりましたが
【憑依体質をコントロールする術】
大切なことと感じましたので書かせていただきました。
(これが謎だからたぶん多くの人がミディアムを警戒するんだよね。大丈夫なんですよ(笑)。がっちりしていることなのです。私は能力を身に着けたのではなく、自分を愛すること、がっちり受け止めることに気がつかせて頂けたから、コントロールができるようになっただけのことなのです、たぶん。多くの、本当に多くの皆様、ありがとうございました。そしてそれは全部、私の魂の鏡(笑)(←いいのいいの、悪びれず、いっぱい喜んどけw)。私の魂さん、それとワンネスで一体である、両親や家族を含めご先祖さま、ここをお読みくださっている方々の魂もみんなひっくるめて一体なのです。愛の粒々の海の一部だから。)
愛の粒々の話(どこに書いたかなあ?ここに一部ちょっと触れてるけど、もっと詳しくどこかに書いたなぁ。探せない(笑)。一応参考までに。よろしければ是非お読みください❤️)→★★★
なんか偉そうに書きましたけどね。
私だって日々、トレーニングとレッスンなんですよ♪
体型維持やスポーツと一緒よ~
ここまでお読み下さり、誠にありがとうございました💚❄️🌉🌷