今日は目が痛いので、できるだけ手短に書きます。

今日は、
相模原で行われた、たいらつばきさんによる自動書記で書かれた本『神からの手紙第3巻~「悟り」の章』の読書会に、参加しました。

会場の会議室に入り、始まるやいなや、

目がめちゃめちゃヒリヒリシバシバしてきて、ついにどうにも開いていられなくなってしまいました。

私はコンタクトではないし、視力は裸眼で0.5

最近少し乱視がきつくなって来たものの、先週やった検眼によると、老眼はまだそんなに入ってはいないとのこと。特に疾患はなし。

疲れ目、寝不足、蛍光灯、白い紙のページ、乾燥

あらゆる要素がたまたま重なったのだろうけれど、さっきまで平気で、ここまでは車の運転を普段通りしてきたくらいなのに

どんなに寝不足とか花粉だ埃だと言ったって、生涯でこんなに、ほとんど強制的に、全く目が開かなくなったなんてことは、一度も無い!!

ムスカになったのかと思った。


ほんとにこんなかんじ。


どうしよう。読書会だよ?

小さい項ごとに持ち回りで読みながら感想等話していくのですが

読めない

目が開かない

急に見えなくなった驚きと恐怖。

ちらっ(/ω・\)チラッとでも開かなくなってきた、情けなさ、このまま見えなくなったらどうしよう、不安、情けなさ、悲しさ。

突然盲る(めしいる)といのは、こんなにも恐ろしく情けなく悲しく感じるものなのかと文字通り、「想像を絶し」ました。

ところがその中で、いくつもの事に気がつきました。

人に読んでもらえばいいんだ。

イマドコか、どのページかは、みんなのページをめくる紙の音でわかる。

めくらない、真ん中の閉じたところを跨がっての次のページに行くときに、めくらないのに、皆から微かに音がすることに気がつく。

読んでもらう声にしか頼れない内容が

こんなにも、ダイレクトに脳に心に響くのか。

今までは、自分で目で、字でも音でも両方から追った方が入ると思っていたのに、処理する情報が1つ多いことは邪魔なんだ、と知る。

視覚を封じ、聴覚だけにすることは、処理すべき情報量は減るけれど、密度(クリアさ)はぐんと上がるんだ。という新鮮な発見の体験。

それでも、

感想を述べてくれる人の話は目を見て聞くもんだ、失礼じゃないか、と思っている自分や、

私の読む番がきたらどうすんだ、と心配する自分、

シバシバするために涙が出て、鼻水にもなり、泣いているか寝ているかに見えるに違いない、それを非難の目で見られているに違いないと、人の目を気にする自分、

人がどういう目で私を見ているかを、確認することも、それに対して構えることも、言い訳めいた素振りをして見せることさえも出来ないと気にする自分、にも気がつきました。

「そんなことを私は普段気にしていたのか」と改めて意識して発見して驚いた気持ち。

人の声の温かさ、優しさ。

人の声って、案外「意外」なんだな、

聞こえる方向を感じる、

この方向にはたしかAさんが座っていたはずだけど、Aさんってこんなに低い太い重々しい声なんだ?細身小柄女の子らしい感じの見た目じゃなかったっけ?印象って、案外「勝手に作ってる」んだな、とか。

今人の声にしか頼れない、今「私が読書会に参加している」という事実と意義を支えてくれているのは、この一筋の他人様の声以外、何も無い。これを離したら、聞き逃したら、終わりだ。迷子だ。ここにこの場に「参加している」ということから、ドロップアウト、私は迷子になるんだ。あんた何でここにいるわけ?と等しいことになるんだ。一筋の声にすがる必死さ。

目を開けなくちゃ

開けてなくちゃ。

なんとか開けなきゃ。どうしたら開くんだ?

何がイケナイのだ、開かない理由はなんだ?

原因を突き止めて取り除けば開くのか?

開く条件が例え整わなくても、人工的に強制的に開ける方法はないのか?


いや、まて。そんなことはいい、今はそんなことはいい、とにかく声を、声の伝えてくれる内容をしっかり聴かなきゃ。感じ取らなきゃ。


指先で字が見えたりしないだろうか?

急に、超能力が身に付いて、奇跡が起こって、指先だけで本が読める人になってしまったりしないかな!(そんな期待をしてみる。スピリチュアルオタクか!)

そんなことは起こらない。

と、信じているから起こらない。

もっと信じてみろ、奇跡を起こしてみれ、私!

……

……

アホかな
……

もういいか。


皆が読んでくれる。

皆の声が聞こえる。

皆の顔が見たい。

どんな顔で話してるんだろう、どこ見てるんだろう、どんな風に、目が、頬が、…

こんなに、仲間を、ただ、今はじめて会ったような人たち、ただ、一緒に本を読もうと集まった、共通の感性がある仲間。でも刹那的な仲間。でも、こんなに愛しい。愛しく思える。ありがとうと、心の底から思える。感じる。


こんなにいろいろなことを体験できるんなら、

もうしばらく、目が開かなくても、これはこれでいいんじゃないか?



……………そう思ったとたん。


もう開かなくてもいいや、と思ったとたん。


目が少し、開きました。

少しだけ、微かに、ほんのしばらくだけ、開きました。

本の読まれている音声は

「心の目が開く」という内容の箇所を、ちょうど読んでいるところでした。

読まれている間じゅう、
見えない間じゅう、
完全に、同じ内容を、平行してなぞっていました。

見えない中で、私が感じていることを、感じていることに、逐一、本の文言が、対応して答えていました。

ものすごい体験となりました。

悟りとは何か?の、縮図を、体験させられました。

今、家に帰ってきて、じゃあ悟ったのですか?と聞かれれば、そうではないと思います、というか、今日参加する前と後では全然違うけれど、悟りなんて遥か遥か彼方まで段階があるのだと思うし、そんなに悟りの境地、卒業地点、到達地点までチラとでも微かにでも見えたりしようものなら、そんなところに到達出来るのだったら、

私はこんなところで人間なんかやっちゃいない。(いやいや二重に失礼な!)

わからないからこそ

悟りへの道を行く者(舎利子というの?)だからこそ

ここでこうして 仲間達と

ああでもないこうでもない、けんけんがくがくと、探り、研究し、探求する過程を

何だかんだ言いながら、「わからない」ということを、存分に楽しんで(味わって、体験して)いるのだ。

だから

無理に目を開けなくていい

今は、開かないなら、あわてて開ける必要はない。

一瞬よぎった

こんなことや
こんなことして人の話し聴こうかとか
話している人の目を見たいからって
こんなことして聴いていたら、話している人が怖がる!

いっそ、瞼に目を描いてみたらどうだろう?
その場ではまさか出来なかったけど、自分が想像したことを、一体どんなことなのか、帰ってきてからやってみた

コワイ!((( ;゚Д゚)))

人生初、実録「描き目」体験!!(爆)(*≧∇≦)ノ
腹が 腹がよじれる

我ながら
「ふう~んそうかーそうなんだー」
もはや変態でしかない


そんなに無理してまで
開眼する必要はないさ。

今、今を、楽しみ、自分にしか出来ないことを、勇気をもって実行し

楽しんで歩いていくうちに

いつか振り返れば

ああ、いつの間にか、悟っていたのか、悟りって、あんなに悩んだ悟りって、なんだ、こういうことだったのか、と

思える日が 来るかもしれない。

人生楽しんで行こう🎵(*´∇`)ノ

…と、

今日ご一緒に参加された、あのメンバーに、あのメンバーそれぞれ皆のエネルギーに、引っ張られ、導かれ、

思うに至ったのだと感じています。

ありがとうございました❤️


今日でたくさんの読者を失ったかもしれない

でもしょうがないさ、どう繕ったって、これがほんとうの私なんだから。😁😆😄😨


リエラ弘子でした💗(笑)


おやすみなさい
佳い夜を❗

#(どの写真が言う)
#(悪夢しか見ないwwwwww)


追記★ご心配お掛け致しましたが、会が終わる頃には目は回復し、無事車を運転して帰ることができました。
ほんとうにあんなに開かないのはあのときだけでした。きっと神様が、あのメンバーの皆のエネルギーが、醸し出してくれた、ギフト体験だったのだと思っております。