めっちゃ共感したので、リブログさせて頂きました。

「誰のところにインスピレーションが降りてくるかわからない」

「役に立つことがアイデンティティーだった私にとっては、修行w」

この二ヶ所に、特に共感しました(笑)。


でも、ほんとうにそうだなあと、全体に思いました。

「私」という枠をはずして、人類(までいかなくとも、多くの、複数の人間で出来た、個人より大きな集合体)で一つの大きな意識体として、より広く繋がり“高次元からの情報キャッチのお皿”を大きくしていたら、

一人でキャッチするよりももっと大きな意識や知恵をキャッチできる、わけですね。



私は今まで(というか最近)、こう思っていました。↓↓

この世では「分離」を味わうために生まれてきたのであって、あの世でもともとひとつだった魂が、この世では欠片となって個々として「分離」して散らばって、それぞれの個性を持ちながら、自分の担当分野、感じやすい得意分野を味わって生きて、宇宙の情報バンクとでも神様の意識とでも言うものに、データを集めて送っている、

それがこの世に生まれてきた仕組みであり意味であり、生きている意味なんだ、と。

だからみんなそれぞれ「自分らしく」、好きなようにこの世を泳いでみて、その間に起きたり遭遇する、あらゆる現象、あらゆる感情、あらゆるエネルギーを、つぶさに観察して眺めて感じ、自分のオリジナルな観察を味わうんだ、と。成長が目的ではなく、単なるデータ収集なんだから(成長はあくまでも副産物、だいたい上とか下とか、成長とか退化という考えがそもそも片寄った二元論に基づいている、成長ではなく単に“変化”と呼ぶべきで、それは狙うものではなく、ただありのまま眺めるものだと)、それでいいんだ、と。

そういうふうに世界や自分を、捉えていました。

これもひとつの段階かもしれません。

これが真実かどうかというより、これもひとつの選択肢かもしれません。


ですが、今日、

happyさんと旺季志ずかさんのブログを読んで

「私の」という意識をはずすことの意味を

思い知らされました。


もうひとつ、違う世界がある。と、思い気づかされました。


「それぞれ自分の担当分野をしっかり味わっていりゃあいいんだ」

というのは、ある意味真実でもありますが、
なにせ寂しかった。

つい、正直、孤独を感じていました。

「孤独感が湧くのは上の意識と切れている時だ。深い呼吸をしてもう一度しっかり上と繋がれば、一人ではないことを思い出すし、一人でも大丈夫、一人ではない、と解る!」
そう自分に言い聞かせて来ました。

それは確かにそうなのかもしれないけれど、

それでも、理屈抜きで、「寂しい」と、心は言っていた。

なのに無視して言い聞かせて励まして無理に鍛えて歩かせ続けていました。(泣) 今認めました。

それは確かにそうかもしれないけれど

理屈より、自分の心の声がやはり上でした。

「学び」ではまだ違いました。

「実感」こそが最も強い真実。

そして実感というのはこれなのですね

分離とオリジナリティも、間違いでも悪でももちろんありません。

それはそれでひとつの段階です。

さらにその上の(次の、別の、もひとつ大きな)段階というものがあるのだと

わかりました。

素晴らしい体験と知恵を分かち合ってくださる方が居るお陰で

ブログというものを開発して下さった人があるおかげで

魂が新たな段階を知り進むことができます。

嬉しいことです❤️

ああ、まだここに

「私の」という意識や
「役に立つことがアイデンティティー」な私

がありますが(笑)

まだ駄目なんだ、まだ未熟だとか思わずに

これはこれで

ああそうなんだなあと眺めておくことにします。どんな私でもかわいい私だから❤️😍💕

飽きたら自然に手放して変化します❤️



「私の〇〇」という意識を手放して、人に任せる、人にも委ねる。

「邪魔をされたくない」が強い私には、これは修行です(笑)。


一人一人なら優秀で自由でも、組織になると何故かどうしても、足を引っ張り合うというか、誰が、何が、どこが発信源だかわからないけれど(おそらく幹部の“手柄意識”や“特別意識”ではないかと踏んでいますが)縛り合い、自由が効かなくなって、何も行動出来ずにいる、新しい良いアイディアの芽も摘み取るような、意味のない馴れ合いの集まりが、私は心から嫌いなのです。根拠のない迷信に縛られた、ある意味宗教(邪教!)です。好きな人は集って楽しんでいればいい、けれど彼らに私を制限する権利などありません。一緒に居る必要はありません。

寂しさは他所でなんとでもなります。

だから集団や組織、人付き合いは嫌いでした。

それで良いと思ってきました。

せっかく受信出来ていることを

何の根拠もなく無下に否定される意味がわかりませんでした。

私に降りてきている私の経験のための情報、サポートなのに、誰にも強いてさえいないのに、なぜ否定されなければならないのでしょう?

それを受けとることは私の自由なのに

なぜ「それは不調和だから受けとることは間違いである」などと? 意味不明~!(笑)

だから無視。

なぜ他人の価値観で生きるの?
私の人生なのに。



そんなだったところが、今日、

良い悪い、上とか下とか、上がったとか下がったとか進化したとか退化したとかではなく、

別の意味ってあるんだなと。

「私の」という意識を外した世界って、見てみたい。

「誰のところにインスピレーションが降りてくるかわからない」

そういう、はらはらした、真剣な、
マジの受け取り体制。

上の意識への

真剣な信頼。

ほんとうの「委ね」。

旺季志ずかさんの演出家としての初体験と、その周りで一緒に体験している、このミュージカル集団の方たちが今していること。

それをリアルに見せて頂き、

すごく、すごく、

感化されました。

ミュージカルの出来云々の前に

これを創っているこの過程が、すごい。


「私の」を外し始めた私の一歩として
今日は記録させて頂きました。

おつきあいくださいまして
ありがとうございました🌸