なぜこんなに自信がないのかと言えば
親が凄すぎて立派過ぎて ついていけないのです。
自分は親の期待に応えられなかった
息子がこの春立派に就職し
私の親も孫の社会人への第一歩は一応は喜んではくれたけれど
私がだめならせめて孫には跡を継いで欲しかったと 思っているのがひしひし伝わる
気のせいだと、私の考え過ぎだと、思い込みだと言う人もいるけれど
こういう感覚、いつもだいたい当たってる。
特に父親は ちょいちょい言動の端々に滲ませる 諦めるのに一生懸命
実に心苦しい
親の期待するような人間に成れなかったし
成れない
私はあの人たちのような
素晴らしいセンスもなければ
能力も力も努力する根性もない
だからここに居てはいけない
親は大好きだし 助けたいし 会いたいけれど
会いに行くのも気が引けるほど
きっとばかにされる
きっと蔑まれる
きっとがっかりさせる
恥ずかしくて居たたまれなくて
目の前に出ることも辛い
親はそんなことは決して思っていないと思う。いつも優しいし、子供達を連れていけば、孫がいることをとても喜んで可愛がってくれる。
なのに それさえ
孫は良いけど 私だけでは駄目なんだろうとか思ってしまう
私が勝手にそう思っているのかもしれないが
あまりに素晴らしすぎるあの人たちの前で
劣等感を感じるのは どうしようもない。
いきさつがあって
私なりに努力はして
でもこういう仕上がりになった
これはこれで
他の人から見たら「ちゃんとやってるじゃん」なのかもしれないけれど
親のあまりの期待 何を求められていたかは知っているだけに
でもそれにはなれなかったのが いまだに心苦しい
今の、これが私だと
堂々と言えない自分が悲しい。
なれなかったのは仕方ない
親の期待に応える必要はないというのも、今はもう知ってる でも
そんな自分を 自分が受け入れられない
堂々と 私と違う親に
「私は私。私はこれで幸せなのよ」と
堂々と言いきれない自分が苦しい
自分が 何が幸せなのかさえ、もはやわからない
人の思いと自分の思いとの区別がつかない
これが一番苦しい。
そんな思いを抱えたまま
早朝の等々力不動に行った。
相変わらず綺麗で居心地の佳い
私の逃げ場
木々と水。
そのなかでふと
目に入り 釘付けになった木があった

たいして大きいわけでもない
変わった形でもない
そこだけ開けている訳でも何でもない
けれど何故かそこだけ
ぱっと目に飛び込んでとても印象的だった
すうっ と伸びた立ち姿が 何と美しいのかと 感動した。
でもあらためてよく見ると、細くて 別になにも大したことない。
ただ、雰囲気が、私にとっては、只ならぬ感じがしたのです。
「何だろう?」と立ち止まった
すれ違う人がいたけれど
私が何に注目して立ち止まったのかわからなかったと思う、鳥がいるわけでもない、花が咲いているわけでもない。
木が何か伝えているような気がした
じっと心を澄ます
「ゆずりは」
という言葉がふっと浮かんだ
この木の名前(種類)ではないと思う
ていうか ゆずりはってどんな木か知らないし。
「あ」 と思い当たった
「ゆずりは」って
私の大好きなチャネラーさんのブログの名前だ。
でもだから何、と そこまで深追いせず
その時はそれで終わりました。
渓谷から階段を上がり
本殿にお参りして景色を楽しんで
少しは気分転換して 何とか普通の表情にに戻して家に帰りました
家に帰るのさえ 居たたまれなくて辛いほど 近頃滅入っている
春のせいだと思うことにはしている
人間も自然の生き物で
気温や気圧や日照時間や花粉や風や他、季節の色々なことに 多少は影響を受けるだろう ホルモンの分泌の加減のせいだ、大したことない、やり過ごせ、いろんな想いなんか、長年生きてんだ、多少あって当然さ
そう言い聞かせるが それで振り切れないほど 何故か今回とてもきつい
かといって
ヒーリングや講座など もういろいろ弄られたくない
とにかく人が嫌い自分も嫌い
ほうっておいてほしい 世界なんか全部全部幻なんだ、そんなものにいちいち反応しちゃだめだ、静かにしとれ、じっとしとれ、もう何しなくていい
そんな気持ちがやけに強く 動けなかった。
それが昨日。
家族と口を利くのもそこそこに
とっとと寝てしまった
朝はルーティンだけ淡々とこなし
今日は仕事にも出掛けない
かといって 桜もどうでもいい。
そんな今朝。
なんと 「ゆずりは」のブログ更新記事が、こんなことに。
コチラ←
普段はなく、イベント出典時のみのメニューなのだそう。
自信をなくしていた私に
高次の存在が 何者かが みえさんを通して 私にヘルプを差しのべてくれた。
それを木を通して「ゆずりは」という信号を送って私に伝えてくれた。
ただブログの記事だけ目にしても、ただ今絶賛ひねくれ中の私が、手を出さないであろうことまでちゃんと見越して、等々力不動でのエピソードを、前置きしてくれた。
神様(かなにか、大いなる高次の存在)。
ありがたくて 涙が出ます。
ありがとう あきらめずにがんばります
気負うことはないけれど
自分を見捨てたり 投げ出したりすることだけは 決してすまいと あらためて思いました。
ときに
等々力不動尊
4月初めは花祭り
今週いっぱいと週末は大にぎわいの模様。
花一杯でとても綺麗ですヨ
お釈迦様のお誕生日
釈迦像に頭から甘茶を掛けて祝います







親が凄すぎて立派過ぎて ついていけないのです。
自分は親の期待に応えられなかった
息子がこの春立派に就職し
私の親も孫の社会人への第一歩は一応は喜んではくれたけれど
私がだめならせめて孫には跡を継いで欲しかったと 思っているのがひしひし伝わる
気のせいだと、私の考え過ぎだと、思い込みだと言う人もいるけれど
こういう感覚、いつもだいたい当たってる。
特に父親は ちょいちょい言動の端々に滲ませる 諦めるのに一生懸命
実に心苦しい
親の期待するような人間に成れなかったし
成れない
私はあの人たちのような
素晴らしいセンスもなければ
能力も力も努力する根性もない
だからここに居てはいけない
親は大好きだし 助けたいし 会いたいけれど
会いに行くのも気が引けるほど
きっとばかにされる
きっと蔑まれる
きっとがっかりさせる
恥ずかしくて居たたまれなくて
目の前に出ることも辛い
親はそんなことは決して思っていないと思う。いつも優しいし、子供達を連れていけば、孫がいることをとても喜んで可愛がってくれる。
なのに それさえ
孫は良いけど 私だけでは駄目なんだろうとか思ってしまう
私が勝手にそう思っているのかもしれないが
あまりに素晴らしすぎるあの人たちの前で
劣等感を感じるのは どうしようもない。
いきさつがあって
私なりに努力はして
でもこういう仕上がりになった
これはこれで
他の人から見たら「ちゃんとやってるじゃん」なのかもしれないけれど
親のあまりの期待 何を求められていたかは知っているだけに
でもそれにはなれなかったのが いまだに心苦しい
今の、これが私だと
堂々と言えない自分が悲しい。
なれなかったのは仕方ない
親の期待に応える必要はないというのも、今はもう知ってる でも
そんな自分を 自分が受け入れられない
堂々と 私と違う親に
「私は私。私はこれで幸せなのよ」と
堂々と言いきれない自分が苦しい
自分が 何が幸せなのかさえ、もはやわからない
人の思いと自分の思いとの区別がつかない
これが一番苦しい。
そんな思いを抱えたまま
早朝の等々力不動に行った。
相変わらず綺麗で居心地の佳い
私の逃げ場
木々と水。
そのなかでふと
目に入り 釘付けになった木があった

たいして大きいわけでもない
変わった形でもない
そこだけ開けている訳でも何でもない
けれど何故かそこだけ
ぱっと目に飛び込んでとても印象的だった
すうっ と伸びた立ち姿が 何と美しいのかと 感動した。
でもあらためてよく見ると、細くて 別になにも大したことない。
ただ、雰囲気が、私にとっては、只ならぬ感じがしたのです。
「何だろう?」と立ち止まった
すれ違う人がいたけれど
私が何に注目して立ち止まったのかわからなかったと思う、鳥がいるわけでもない、花が咲いているわけでもない。
木が何か伝えているような気がした
じっと心を澄ます
「ゆずりは」
という言葉がふっと浮かんだ
この木の名前(種類)ではないと思う
ていうか ゆずりはってどんな木か知らないし。
「あ」 と思い当たった
「ゆずりは」って
私の大好きなチャネラーさんのブログの名前だ。
でもだから何、と そこまで深追いせず
その時はそれで終わりました。
渓谷から階段を上がり
本殿にお参りして景色を楽しんで
少しは気分転換して 何とか普通の表情にに戻して家に帰りました
家に帰るのさえ 居たたまれなくて辛いほど 近頃滅入っている
春のせいだと思うことにはしている
人間も自然の生き物で
気温や気圧や日照時間や花粉や風や他、季節の色々なことに 多少は影響を受けるだろう ホルモンの分泌の加減のせいだ、大したことない、やり過ごせ、いろんな想いなんか、長年生きてんだ、多少あって当然さ
そう言い聞かせるが それで振り切れないほど 何故か今回とてもきつい
かといって
ヒーリングや講座など もういろいろ弄られたくない
とにかく人が嫌い自分も嫌い
ほうっておいてほしい 世界なんか全部全部幻なんだ、そんなものにいちいち反応しちゃだめだ、静かにしとれ、じっとしとれ、もう何しなくていい
そんな気持ちがやけに強く 動けなかった。
それが昨日。
家族と口を利くのもそこそこに
とっとと寝てしまった
朝はルーティンだけ淡々とこなし
今日は仕事にも出掛けない
かといって 桜もどうでもいい。
そんな今朝。
なんと 「ゆずりは」のブログ更新記事が、こんなことに。
コチラ←
普段はなく、イベント出典時のみのメニューなのだそう。
自信をなくしていた私に
高次の存在が 何者かが みえさんを通して 私にヘルプを差しのべてくれた。
それを木を通して「ゆずりは」という信号を送って私に伝えてくれた。
ただブログの記事だけ目にしても、ただ今絶賛ひねくれ中の私が、手を出さないであろうことまでちゃんと見越して、等々力不動でのエピソードを、前置きしてくれた。
神様(かなにか、大いなる高次の存在)。
ありがたくて 涙が出ます。
ありがとう あきらめずにがんばります
気負うことはないけれど
自分を見捨てたり 投げ出したりすることだけは 決してすまいと あらためて思いました。
ときに
等々力不動尊
4月初めは花祭り
今週いっぱいと週末は大にぎわいの模様。
花一杯でとても綺麗ですヨ

お釈迦様のお誕生日
釈迦像に頭から甘茶を掛けて祝います







