どう生きるべきか?
使命は?
正解は?
何をどう足掻こうと
何をどう手を加え改善し書き換えようと
そうしようという意思を持つことさえも
生まれる前に作ってきた計画書に既に書かれた通りなのだとしたら
私たちにできることは
ただ全てが
自分の持つ志や感情さえも含めた
とにかく全ての事が
神々の宇宙のあるいは自分の約束してきた計画の通りに
起きていく様子を
眺めることしかないのではないだろうか。
それは、力無く 成す術もなく
ただ呆然と眺めておれ、ということとは少し違う。
味わうのだ。
私たちは ただ全てを ただ味わうのだ。
計画書に書かれているだけでは
それを読んだだけでは
生きたことにはならない
計画書に書いてあることが
実際にはどんな感じがすることなのか
実際に 生きてみて 体験してみること
「おおっ、こんなだったよ!」と
神に 宇宙に そしてそれらとひとつである 自分自身の魂に
インプットすること
こんな体験だったよと
経験した人にしかわからない感覚を
情報としてソースに加えること
それが私達の
生きるという作業なのではあるまいか?
智恵が発達してきたし
いろいろなことが今、人類はわかってきている。
ともすれば
生まれる前に神様と作ってきた計画書の内容を
生きながら新たに書き換えることさえ
出来そうな いやもう出来始めているのか
それは、大変生きやすくなるし 実に好都合だと思うし 魅力的だし 是非とも手に入れたい魔法のようにも思う。
けれど、理屈抜きのところで
それらしきことをしようとすると
キュンと 何か悄気(しょげ)るような私を、私の胸の奥に感じる。
魔法を手に入れて
万々歳のはずなのに
大喜びして受けとれば良さそうなものなのに
何故か
悲しいような
うっと キュンと でも自然に
悄気てしまう。
これは、良い悪いは別として
何らかの信号であることは確かだ。
受け取れない体質をまずは改善すべきだと言う人もいるだろうし
何かの星の配置のせいだと言う人もいるかもしれないし
分析して弄ろうと思えば、いくらでも言い様はあると思う。
けれども 私がこう感じるのも
それをどう扱うのかも
(それは今はまだ決めてはいないが)
それさえも おそらく 計画書には既に書かれているはず。全てなのだから。
然るべきタイミングに
然るべき行動を
私がどう意識ようとしまいと
自然にとるのだろう。
ほんとうに
もう何も操作しないことではないだろうか。
故 水木しげる氏は 生前にこんな言葉を残した
「人生を弄くり回してはいけない」
時に 同感なのであります。
どんな道にせよ
私がそれが心地良いと感じたなら
それがgoサインだろう。
迷う必要もないし、迷ってもいい。
悩む必要もないし、悩んでもいい。
とにかく 味わうことだけを
私達はしているのだろう。
昨夜
夢か現か幻か
家族を迎えに行って家に送り届けて
家から離れた駐車場に 車を停めに行った時のこと
ふと 助手席に 嘗て亡くなった嘗て愛した人の存在を感じた。
そして会話した。
「あなたは私と会って何を学んだ?」
「愛するということがどういうことなのか、〇ちゃんが教えてくれたよ」
「私は、疑うということ、嫉妬そして 愛する人を信用できないということがどういうことなのか、それをどうクリアするのか そんなことを学んだよ。学んだっていうと、なにか答えを見つけたかのような、偉そうに聞こえるね、味わった、というほうが合ってるかもしれないな。良い悪いでなく、ただね、味わってる^^ この前までは、これで怒ってたけど、今はただ、ああ私はあなたと二人で、そういう状態を味わえた、体験できたんだなあと思う。それも思い出だなあと、今はただ思うよ。」
そしてお互い微笑み合えたような。
淡い 幻です( ´∀`)
こういう感覚を私に教えてくれた
「陰でも陽でもイーンだヨー」って楽しく教えてくれた
さとうみつろう兄さんに
感謝と愛を送ります。
いろいろ思うところおありなのですね。
しばらく休止は寂しいけれど、なんかちょっと感覚わかるような気もする。
なーんて、わかってないかもしれないけど!(笑)m(__)m
大丈夫^^
帰って来ても来なくても、イーンダヨー
って言うとなんだか冷たいみたいだけど(笑)
みつろうさんLOVEだよ

待ってるよ
みつろうさんを感じるときは、私はいつもラブリーです
自分か、みつろうさんのブログ記事をリブログしようとしたら、こんな素敵な記事を発見してしまったので、リブログさせていただきます。