ひとつ前の記事で書いた通り
土曜日は 瞑想とコーチング(これについてはまた後日)の学びに触れましたが
昨日(月)祝日は
お金、ビジネスについて とあるお話会に参加してみました。
ビジネスバリバリなお金の話のセミナーなんて、私にとっては全く新しい分野です。
お金に関して旦那さん任せなので
そろそろちゃんとしようかな、と
(他にもうひとつきっかけがあったのですが、そこを話し出すと脇道に逸れまくっていつ終わるかわからないので(笑)それはここでは伏せます)
そこで気がつきました。
私はなにか
お金をタブーみたいなものに感じている、と。
堂々とお金の話をされているのを聞いているだけで、無性に居心地が悪いというか聞いてられないような、逃げ出したくなるような、何とも言えない違和感を覚えるのを感じました。
お金に使われている人はそう感じるんだ、と、聞きますし
たぶん、自分で感じるに、
自分の力でどうすることもできないから、「そっちが悪いんだ」的な、先にこっちから嫌う、拗ねるみたいにして八つ当たりしている、みたいな状態なのかもなぁ、と思いました。(※)
お金についてここまで真剣に向き合ったことがなかったのかもしれません。
目先や当面の収入について働きかけたことはありますが
ここまで根本的に
「私とお金」「私の人生におけるお金とは?」くらい
深く追求して考えてみたことが無かったのだと気づきました。
他の参加者は、ほぼ20代半ばか後半くらいの若者で、
同じテーブルだった人達に限って言えば、まだ皆独身で(おそらく他のテーブルも皆そのように見受けましたが不明)、今はとりあえず、家族のためとかではなく、自由かもしれないけれど独りで自力で逞しく必死に、荒波を泳ぎ続けている、うまく泳ぐコツを模索している、前向きな、自分を成長させることに夢中な、そんな時代を過ごしている若者たちでした。
刺激を受けましたが
あまりにも私の人生とはかけ離れたテイストを感じ
あらゆる意味でショックを受けました。
とても疲れたけれど
かなり行って良かったと思います。
実は今、話が逸れていて(笑)
歌詞じゃありませんが(※)に戻りますと(笑)
この考え、お金に関しては、私には実に新しい体験でしたが
「恋愛」と「死」に関しては
(注:「お金」「恋愛(肉体、性欲を伴うドロドロした感情、アムール)」「死」どれも、多くの文化において人生の「タブー」とされる分野という意味で、共通なのですが)
私はこのような、「タブーに触れている」居心地の悪さを感じないのです。
のです、というか、そうなんだ、と
今回気がつきました。
私はこのブログで、たびたび「死」について書いています。
誰か特定の人の死、ばかりでなく
死というものそのものについて
生きることの裏側にセットについているものとして、いつも当たり前のように身近に感じていて、タブーだと感じません。
私の中で、お金はタブーなのに死がタブーではないのが何故なのかはわかりません。
星のせいかもしれませんが、よくはわかりません。
ただ、ちょっと最近時々、気になるときがあったのです。
なぜだか、ありがたいことに、アクセス数がぐっと増えまして、これを機会に、知り合いや私をよく知っている仲間だけではなく、不特定多数のいろいろな方に読まれているのだとあらためて意識したので、
死という言葉、字面さえ、嫌な人もいるのではないかな?と、どこかで聞き齧ったのかもしれない表面の知識によって、アンテナが反応したのかもしれません。
もしかしたら今も
これを読みながら、なんだかハラハラしている人がおられるかもしれません。
そのハラハラした感じが、私が昨日、お金の話をされた時に、強烈に感じたものです。
何か、聞いていられないような、やめろよー、よせよー、みたいな。
くすぐったいのとも微妙に違うけれど似ている、なんとも言えない感じ。
ただ嫌とかではない、嫌悪感とは少し違う、「ハラハラする居心地の悪さ」です。
それで今、
ああ、そうかと。
タブーなんだと。
私の中で、お金はタブーだったんだと
気づいたわけです。
恋愛や死についてなら
仕組みや流れがわかるのです、当たり前のように。本能のように。お金に関してよりはずっと、場数を踏んでいるのかもしれません。そして、自力で(自分の思い方で)どうにかできると考えているのです。
避けられはしないけれど、
自分の思いの力ひとつで、持っていきようがあることを体感として知っているのです。
けれども、お金に関しては、この全く同じことが、私にはできない。
できる人には出来るのです。
お金がタブーではない人には、
私が恋愛(セックス、風俗も含む)と死に関して自在に思えるのと同じくらい、お金に関して想いが自由で、それがタブーではない人には、お金は本当に自由で、汚くもなんともなく、むしろ楽しくてワクワクする、遊びのような、当たり前のことなのですね。
この先、お金に関して、私の思い方がどのように変化するかはまだわかりませんが、
自分の得意な分野に当てはめたら
感覚は理解できました。
昨日のセミナー中には
あまりにもかけ離れた話で
全く感覚が理解できない、もはや何いってるのかさっぱりわからない、日本語聞いてるはずなのに、あれ?私、日本語わからなくなったのかな!?っていうくらい(笑)
意味不明曖昧模糊魑魅魍魎…??$%#&@*#
みたいな感じになったのに(笑)
一夜明けてみたら
ふうっと
よかった。
超スッキリした。
きっと「タブー」という言葉をどこかで読むか聞くかして
それがキーになりました。
それと
土曜日の最後に受けた
「古代叡知講座」で聞いた内容も
私にキーを授けてくれた気がします。
平たく言うと、インド占星術なのですが
占星術、というと西洋占星術のイメージが先行してしまうので、それとはまた違うので、古代叡知、としたほうが先入観無く入れて良いかもしれません。
かなり役に立ちそうです。
自分のことを知っていこうとすればするほど
世界が広がるのは、どうやら本当のようです。
視野を広げる楽しさを
今ごろ更にあらためて体感しております
ありがたいことです(^人^)
『古代叡知講座』in TOPPING LABO
↑
来月もあるようです。
チェキラウ!(* ̄∇ ̄)ノ☆
土曜日は 瞑想とコーチング(これについてはまた後日)の学びに触れましたが
昨日(月)祝日は
お金、ビジネスについて とあるお話会に参加してみました。
ビジネスバリバリなお金の話のセミナーなんて、私にとっては全く新しい分野です。
お金に関して旦那さん任せなので
そろそろちゃんとしようかな、と
(他にもうひとつきっかけがあったのですが、そこを話し出すと脇道に逸れまくっていつ終わるかわからないので(笑)それはここでは伏せます)
そこで気がつきました。
私はなにか
お金をタブーみたいなものに感じている、と。
堂々とお金の話をされているのを聞いているだけで、無性に居心地が悪いというか聞いてられないような、逃げ出したくなるような、何とも言えない違和感を覚えるのを感じました。
お金に使われている人はそう感じるんだ、と、聞きますし
たぶん、自分で感じるに、
自分の力でどうすることもできないから、「そっちが悪いんだ」的な、先にこっちから嫌う、拗ねるみたいにして八つ当たりしている、みたいな状態なのかもなぁ、と思いました。(※)
お金についてここまで真剣に向き合ったことがなかったのかもしれません。
目先や当面の収入について働きかけたことはありますが
ここまで根本的に
「私とお金」「私の人生におけるお金とは?」くらい
深く追求して考えてみたことが無かったのだと気づきました。
他の参加者は、ほぼ20代半ばか後半くらいの若者で、
同じテーブルだった人達に限って言えば、まだ皆独身で(おそらく他のテーブルも皆そのように見受けましたが不明)、今はとりあえず、家族のためとかではなく、自由かもしれないけれど独りで自力で逞しく必死に、荒波を泳ぎ続けている、うまく泳ぐコツを模索している、前向きな、自分を成長させることに夢中な、そんな時代を過ごしている若者たちでした。
刺激を受けましたが
あまりにも私の人生とはかけ離れたテイストを感じ
あらゆる意味でショックを受けました。
とても疲れたけれど
かなり行って良かったと思います。
実は今、話が逸れていて(笑)
歌詞じゃありませんが(※)に戻りますと(笑)
この考え、お金に関しては、私には実に新しい体験でしたが
「恋愛」と「死」に関しては
(注:「お金」「恋愛(肉体、性欲を伴うドロドロした感情、アムール)」「死」どれも、多くの文化において人生の「タブー」とされる分野という意味で、共通なのですが)
私はこのような、「タブーに触れている」居心地の悪さを感じないのです。
のです、というか、そうなんだ、と
今回気がつきました。
私はこのブログで、たびたび「死」について書いています。
誰か特定の人の死、ばかりでなく
死というものそのものについて
生きることの裏側にセットについているものとして、いつも当たり前のように身近に感じていて、タブーだと感じません。
私の中で、お金はタブーなのに死がタブーではないのが何故なのかはわかりません。
星のせいかもしれませんが、よくはわかりません。
ただ、ちょっと最近時々、気になるときがあったのです。
なぜだか、ありがたいことに、アクセス数がぐっと増えまして、これを機会に、知り合いや私をよく知っている仲間だけではなく、不特定多数のいろいろな方に読まれているのだとあらためて意識したので、
死という言葉、字面さえ、嫌な人もいるのではないかな?と、どこかで聞き齧ったのかもしれない表面の知識によって、アンテナが反応したのかもしれません。
もしかしたら今も
これを読みながら、なんだかハラハラしている人がおられるかもしれません。
そのハラハラした感じが、私が昨日、お金の話をされた時に、強烈に感じたものです。
何か、聞いていられないような、やめろよー、よせよー、みたいな。
くすぐったいのとも微妙に違うけれど似ている、なんとも言えない感じ。
ただ嫌とかではない、嫌悪感とは少し違う、「ハラハラする居心地の悪さ」です。
それで今、
ああ、そうかと。
タブーなんだと。
私の中で、お金はタブーだったんだと
気づいたわけです。
恋愛や死についてなら
仕組みや流れがわかるのです、当たり前のように。本能のように。お金に関してよりはずっと、場数を踏んでいるのかもしれません。そして、自力で(自分の思い方で)どうにかできると考えているのです。
避けられはしないけれど、
自分の思いの力ひとつで、持っていきようがあることを体感として知っているのです。
けれども、お金に関しては、この全く同じことが、私にはできない。
できる人には出来るのです。
お金がタブーではない人には、
私が恋愛(セックス、風俗も含む)と死に関して自在に思えるのと同じくらい、お金に関して想いが自由で、それがタブーではない人には、お金は本当に自由で、汚くもなんともなく、むしろ楽しくてワクワクする、遊びのような、当たり前のことなのですね。
この先、お金に関して、私の思い方がどのように変化するかはまだわかりませんが、
自分の得意な分野に当てはめたら
感覚は理解できました。
昨日のセミナー中には
あまりにもかけ離れた話で
全く感覚が理解できない、もはや何いってるのかさっぱりわからない、日本語聞いてるはずなのに、あれ?私、日本語わからなくなったのかな!?っていうくらい(笑)
意味不明曖昧模糊魑魅魍魎…??$%#&@*#
みたいな感じになったのに(笑)
一夜明けてみたら
ふうっと
よかった。
超スッキリした。
きっと「タブー」という言葉をどこかで読むか聞くかして
それがキーになりました。
それと
土曜日の最後に受けた
「古代叡知講座」で聞いた内容も
私にキーを授けてくれた気がします。
平たく言うと、インド占星術なのですが
占星術、というと西洋占星術のイメージが先行してしまうので、それとはまた違うので、古代叡知、としたほうが先入観無く入れて良いかもしれません。
かなり役に立ちそうです。
自分のことを知っていこうとすればするほど
世界が広がるのは、どうやら本当のようです。
視野を広げる楽しさを
今ごろ更にあらためて体感しております
ありがたいことです(^人^)
『古代叡知講座』in TOPPING LABO
↑
来月もあるようです。
チェキラウ!(* ̄∇ ̄)ノ☆