よく言いますよね
望めば叶うって
昔は そんなのは
たまたま叶った人が後から言ってるだけのことだと思っていました
どんなに望んでも叶わないこともある、それを、人間には叶わないものがあるという謙虚さ、自然界に対する畏怖の念を、忘れたらいけない、って、思っていました。
それは今も変わらないかもしれません
肉体の死とか どうしようもない別れとかね
でも 最近
たぶん、そういう話ではないのかもしれないな、と思うようになってきました。
自然界も宇宙も人間も(まあ究極のところ全部同じですけど)、要は
「条件が整ったところに起こるべくして起こることが起こる」だけの話なんじゃないかと。
望みとか、良し悪しとか、感情とか云々も、条件の一部に過ぎないんじゃないかと。
何かを起きるようにするための条件の1つとして、「願う」「望む」ってのも入ってるだけの話で
それも条件の1つだから、もちろんそれも揃えていないと叶わないのだけれど
そこが起点ではない 気がする。
望んだらイコール即叶う、わけではない。
もちろん望まないことには何にも始まらないですし、
望んでから、叶うためのその他の条件を満たすのが、異様に早い人が、昨今現れ始めたのは確かだと思いますが。
それは時の流れもあるのかもしれないし、
人の知恵が増えてきたのかもしれないし、
宇宙の時期みたいなのもあるのかもしれないし
何故今そうなのかはわからないけれど。
まさか叶うわけ無いと思うけど
可能か不可能かは一切別として
ただ漠然とモヤ~ンと、
ただそれをひたすら愛する感じ。
「欲しい欲しいっ」と、ガメツク渇望したり、なんとか取り寄せようと必死になるのではなく、「引き寄せたいからこだわらないっとかの、メソッド的な操作も一切関係なく、
た~だ愛でる(笑)
「いいなぁ…そうなったら素敵…ああなんていいんだろう…


」
とにかくひたすらエクスタシーみたいな(笑)
そういう感覚を持ったものは、振り返って見たら、今まで悉く、叶ってるなぁ
長くても2年くらい後には
もう当たり前のようにそのとおりになってる
「お部屋借りて一人暮らし」も
「絶対無理、無い、と思っていた憧れの男性とお付き合いできたり」も
「自分のミラジーノ(車)に乗りたい」も
「オーラソーマを学びたい」も
「剣さんに会いたい」も
「絵画教室をやってみたい」も
他にもいくつか…あるなぁ。
どれも、思い付いて望んだ時は、まさか絶対有り得ない、って思っていました。
私の環境からして、条件が整えられるはずがない、って。
でも。
なんだか、叶ってますね。
自分で意識して頑張って条件を集めて整えた覚えはないんです。
へんな言い方だけれど
今振り返るとそうなんですよね…
たまたま頑張っていたことがそちらの方へ転んだ、というのはあります。
けれども、外からの不意の、思いがけない巡り合わせや助け、というのも大きいのです。それは自分で仕掛けようがないと思うのですけれど、何か知らない間に、条件が整うようなことになっていたんでしょうね。
先日あるテレビ番組で、
作家の京極夏彦さんの書斎が、本邦初公開とかいって出ていましたが、
水木しげるさんのグッズが、博物館級に満載のお部屋があるのですね。
京極夏彦さんは仰ってました。
「集めた覚えはないんです。『集まってしまった』んです…。」
「何言ってんだろう、変な人だなあ!」って、その時は思いました(笑)(京極夏彦先生ごめんなさいm(__)m)
でも、今その感覚、解るかも知れません。
どうしたらそうなるのかが、方法論として、必ずの法則が掴めて人にも説明できれば、よくいろんな方が行っているセミナーとかになるのかもしれないけれど、薄々はこれかな?というのは知っていますが、たぶんそんなことは今さらこの時代語り尽くされていることだろうし、それらのどこからか聞いたことがあるから私の頭にもあるのかもしれないし、一概に言えないとも思っているので(個人のやることに責任も持てないしね、)セミナーなんか構築はしませんが(したいとも思わない。やりたい人がやってくれてる。)
そうしてまた今夜から
ハワイへ行かせて頂きます
一生憧れてるだけで行くことはないんだろうと思っていました。
だからなのか、初めにマヤのカレンダーにそう願いを書いてから2年も経ちましたが(笑)、最終的には叶いました
神様ありがとう
いってきます

皆さま しばしのお別れでございます
何か佳いことを掴んできたら
また環現して行きたいと存じます

いつもお読みくださり ありがとうございます
望めば叶うって
昔は そんなのは
たまたま叶った人が後から言ってるだけのことだと思っていました
どんなに望んでも叶わないこともある、それを、人間には叶わないものがあるという謙虚さ、自然界に対する畏怖の念を、忘れたらいけない、って、思っていました。
それは今も変わらないかもしれません
肉体の死とか どうしようもない別れとかね
でも 最近
たぶん、そういう話ではないのかもしれないな、と思うようになってきました。
自然界も宇宙も人間も(まあ究極のところ全部同じですけど)、要は
「条件が整ったところに起こるべくして起こることが起こる」だけの話なんじゃないかと。
望みとか、良し悪しとか、感情とか云々も、条件の一部に過ぎないんじゃないかと。
何かを起きるようにするための条件の1つとして、「願う」「望む」ってのも入ってるだけの話で
それも条件の1つだから、もちろんそれも揃えていないと叶わないのだけれど
そこが起点ではない 気がする。
望んだらイコール即叶う、わけではない。
もちろん望まないことには何にも始まらないですし、
望んでから、叶うためのその他の条件を満たすのが、異様に早い人が、昨今現れ始めたのは確かだと思いますが。
それは時の流れもあるのかもしれないし、
人の知恵が増えてきたのかもしれないし、
宇宙の時期みたいなのもあるのかもしれないし
何故今そうなのかはわからないけれど。
まさか叶うわけ無いと思うけど
可能か不可能かは一切別として
ただ漠然とモヤ~ンと、
ただそれをひたすら愛する感じ。
「欲しい欲しいっ」と、ガメツク渇望したり、なんとか取り寄せようと必死になるのではなく、「引き寄せたいからこだわらないっとかの、メソッド的な操作も一切関係なく、
た~だ愛でる(笑)
「いいなぁ…そうなったら素敵…ああなんていいんだろう…
とにかくひたすらエクスタシーみたいな(笑)
そういう感覚を持ったものは、振り返って見たら、今まで悉く、叶ってるなぁ
長くても2年くらい後には
もう当たり前のようにそのとおりになってる
「お部屋借りて一人暮らし」も
「絶対無理、無い、と思っていた憧れの男性とお付き合いできたり」も
「自分のミラジーノ(車)に乗りたい」も
「オーラソーマを学びたい」も
「剣さんに会いたい」も
「絵画教室をやってみたい」も
他にもいくつか…あるなぁ。
どれも、思い付いて望んだ時は、まさか絶対有り得ない、って思っていました。
私の環境からして、条件が整えられるはずがない、って。
でも。
なんだか、叶ってますね。
自分で意識して頑張って条件を集めて整えた覚えはないんです。
へんな言い方だけれど
今振り返るとそうなんですよね…
たまたま頑張っていたことがそちらの方へ転んだ、というのはあります。
けれども、外からの不意の、思いがけない巡り合わせや助け、というのも大きいのです。それは自分で仕掛けようがないと思うのですけれど、何か知らない間に、条件が整うようなことになっていたんでしょうね。
先日あるテレビ番組で、
作家の京極夏彦さんの書斎が、本邦初公開とかいって出ていましたが、
水木しげるさんのグッズが、博物館級に満載のお部屋があるのですね。
京極夏彦さんは仰ってました。
「集めた覚えはないんです。『集まってしまった』んです…。」
「何言ってんだろう、変な人だなあ!」って、その時は思いました(笑)(京極夏彦先生ごめんなさいm(__)m)
でも、今その感覚、解るかも知れません。
どうしたらそうなるのかが、方法論として、必ずの法則が掴めて人にも説明できれば、よくいろんな方が行っているセミナーとかになるのかもしれないけれど、薄々はこれかな?というのは知っていますが、たぶんそんなことは今さらこの時代語り尽くされていることだろうし、それらのどこからか聞いたことがあるから私の頭にもあるのかもしれないし、一概に言えないとも思っているので(個人のやることに責任も持てないしね、)セミナーなんか構築はしませんが(したいとも思わない。やりたい人がやってくれてる。)
そうしてまた今夜から
ハワイへ行かせて頂きます

一生憧れてるだけで行くことはないんだろうと思っていました。
だからなのか、初めにマヤのカレンダーにそう願いを書いてから2年も経ちましたが(笑)、最終的には叶いました

神様ありがとう

いってきます


皆さま しばしのお別れでございます
何か佳いことを掴んできたら
また環現して行きたいと存じます


いつもお読みくださり ありがとうございます
