ノブレス・オブリージュ
Nobllesse Oblige
「できるひとの責任」みたいな意味。
ある面で、豊かで恵まれている人は、
余裕な分をのほほんと独り占めして楽しむのでなく
余裕な分、社会に何らかの形で還元する責任がある
みたいな意味。
微妙な概念ので、あらゆる面で誤解が生じている言葉らしいのですが(施しとか差別とか犠牲とか上から目線とか威張ってるとかetc.…)
身近なところに「え?これって、ノブレスオブリージュ?」ということが感じられたので、よくわからないけれどちょっと書いてみたいと思いました。
誤解があると(別にいいけど)やっぱりあんまり嬉しくないので、初めに断っておくのですが
決して自慢しているわけでも威張っているわけでもないのです。
ただ、『責任』ってことについて
『生きる意味って?』
どう思いますか?と問いたいだけなのです。
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大学受験生の、娘の模試の結果が返ってきて
そろそろ第一志望を定めないといけないね、という話になりました。
今年高3の頭(2月頃?高2の終わり)に理系から文系に転じて、選択科目もずいぶん入れ替わったため、いろいろできないことが多く不安でしたが、本人滅茶苦茶頑張って、思いの外成績が良かったのでした。
今回だけにわかに良かったわけではなく、ずっと頑張ってきてはいたのですが、
ネックだった世界史がなかなかのレベルまで追い付くことができたのが大きかった上
国語、英語、地理の延びが半端なかった
ただ、本人大変慎重なのと、
いままで、女子は学年で一人の剣道部であるとか、クラスに於ても何かといえば責任を背負い込む羽目に散々陥って(目立つのか)しかもできてしまうので『〇〇ちゃんに任せれば安心』『〇〇ちゃんがいるから大丈夫』とされがちなのが、本人プレッシャーで、
「もっと普通にJK(女子高生)として楽しみたかった」
が口癖、座右の銘は
「雉も鳴かずば射たれまい」
という有り様。
(「有り様」っていうほど悪い諺ではないけれど、変に歪んでいるというか変に後ろ向き、引っ込み思案なところが身に付いてしまった)
今度はまた
「この成績なら東大京大狙える」と言われるのが嫌で
とにかく言われるのが嫌という理由で、
可能性について考えようとしないのです。
今まで大変だったのを見ていたら
「なぜわざわざ大変な方を選ばなければいけないのか?」
余裕を持ってやりたい、というのも、よくわかるのです。
でも、どうなんだろう。
楽したいのは山々ですよ
それは楽に越したことはないとは思います。
余裕を楽しむ生き方もアリです。
それで納得ならなにも言いません。
でも
『生きている手応え』のことを考えたら
もうちょっと選択を悩んでも良いのではないかしら?と思うのです。
誰かの役に立つためではなく
自分の手応え、充実感のために
少し無理めの 少し険しい道をトライするのは
価値あることなんじゃないだろうか。
自分ためなんだけど、
自分も社会の一員なのだとすれば、
余裕のある人の責任というか
できる人にしかできない役割を
果たそうとしてもバチはあたらないのではないだろうか
「なんで私だけわざわざ辛い道を?(余裕あるんだから楽できるはずなのにさ)」
そういうの、なんとも言えないけれど
どうなんだろう?と
私なんかは思うわけなんですよ…
決して、東大や京大など学歴を信奉するものではありません。
頑張ってる人に失礼だけど、学歴は人生の価値には本当に関係はないとは思います。ただ、頑張らない人の隠れ蓑にもしたくないですね。やはり研究を極める意識は大切と思います。ただ、必ずしも出身大学の名前だけではない場合もあるよね、ってことです…
延びよう、生きよう、自分が生まれてきた意味は?真理って?世界の仕組みは?魂の旅とは?人間はなぜ生まれなぜ生きているのか?
これを追求するため以外、なんのために生きているというのかしら?
楽しむため、という考え方もある種真理だけど、楽しむことの先に何があるのか?ですよね
意味が無いのではなく、自分さえよければ自分さえ楽しければ、じゃ、それが何になるの?極めたら、争いしか起こらなくね?
それは嫌だ、違う…
私なんかは、そう思うのです。
『人間は 自由の刑に処せられている』
昔の賢人の言葉
ほんとだよねw
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