地震から二週間、やっと携帯電話がつうじるようになりました。
みんな無事である事を祈る日々でした。
なかなか連絡がとれずにいたわたし。
安否確認掲示板で名前出てたり、県外の友達が 私を探してくれてました。
本当に嬉しかった、何よりも嬉しかった みんな無事でありがとう。心配してくれてありがとう
ここ数年、連絡先不明だった まっちゃんは、あらゆる方向から わたしを見つけてくれた。facebookに登録しておいてよかった。
まっちゃんとは、6年位前の震度5地震の時 一緒に三茶でカラオケしてたなー 地震がある時、そばにいるのは まっちゃんだなぁ~と振り返る。地震で繋がる縁 ありがとう。本当にありがとう。
わたしは、津波そのものを見ていないし、波に飲まれる体験もしていない。だから、現実として受け止めにくく、不思議な感じがしている。YouTubeに津波映像アップされているみたいだけど、まだネットは見れない。
三陸沿岸はほぼ壊滅状態。
昨日は休みだったので、気仙沼の現状が見たくて、ぶらりと行ってきました
なんと言ったらいいか、ここに沢山の家があったとは思えない。
大谷海岸の駅の屋上に松の木。
写真はないけれど、南三陸志津川では、病院の四階まで。
もう、どの写真みても同じ。。
どうするんだろう。これから。
どこも瓦礫だらけ。町が跡形もなくなっていて、訳がわからない状態
わたしの家への被害はなかったですが、ギリギリでした。高さ30センチは水が来たらしいです。
しかし、海から5キロ離れた津谷の町裏まで津波が来ると、だれが予想できたでしょうか。
うちの裏からは、数人の遺体がみつかり、検察官があるいていました。
わたしの職場は、南三陸歌津にある老人保健施設。
避難所にもなっていますが、何百人もいる避難所よりは いい環境だと思います。 何かあれば言ってね。という友人たちの暖かい言葉、今は、その言葉が1番嬉しいし、励みになります
物資は今のところはなんとかなってます。
ただ、南三陸は壊滅してるから、長期戦であること間違いなし。困ったら、みなさんに甘える時がくるかもしれない。その時は、力を貸して下さいー。
周りの避難所の様子はわからないけど、物資は全体に回り始めているようです。
道もまだ悪いし、なにより気味が悪い。ガソリンも微妙。帰る家があるだけ贅沢なんだけど、週に二回程度しか帰れていないので、あまり連絡はとれないかもしれないけど、わたしは、元気にやってますので(^ω^)
入所者、避難民、職員、日をおうごとに 少しずつ、ストレス。
だけど、前向きになってきています
避難民向けに、体操も始めたんだけど、みんな元気で わたしが元気もらってますー
大きな余震に 施設が耐えてくれるかなー
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