2011.3.25 | とあるニッポン人の日常

とあるニッポン人の日常

  


気仙沼の唄うたい hilokoのブログ


地震から二週間、やっと携帯電話がつうじるようになりました。

みんな無事である事を祈る日々でした。

なかなか連絡がとれずにいたわたし。
安否確認掲示板で名前出てたり、県外の友達が 私を探してくれてました。

本当に嬉しかった、何よりも嬉しかったアップ みんな無事でありがとう。心配してくれてありがとうアップ

ここ数年、連絡先不明だった まっちゃんは、あらゆる方向から わたしを見つけてくれた。facebookに登録しておいてよかった。

まっちゃんとは、6年位前の震度5地震の時 一緒に三茶でカラオケしてたなーカラオケ 地震がある時、そばにいるのは まっちゃんだなぁ~と振り返る。地震で繋がる縁!? ありがとう。本当にありがとう。

わたしは、津波そのものを見ていないし、波に飲まれる体験もしていない。だから、現実として受け止めにくく、不思議な感じがしている。YouTubeに津波映像アップされているみたいだけど、まだネットは見れない。

三陸沿岸はほぼ壊滅状態。

昨日は休みだったので、気仙沼の現状が見たくて、ぶらりと行ってきました車

photo:01


なんと言ったらいいか、ここに沢山の家があったとは思えない。

photo:02


大谷海岸の駅の屋上に松の木。

写真はないけれど、南三陸志津川では、病院の四階まで。

photo:03


もう、どの写真みても同じ。。

どうするんだろう。これから。

どこも瓦礫だらけ。町が跡形もなくなっていて、訳がわからない状態
photo:04




わたしの家への被害はなかったですが、ギリギリでした。高さ30センチは水が来たらしいです。

しかし、海から5キロ離れた津谷の町裏まで津波が来ると、だれが予想できたでしょうか。
うちの裏からは、数人の遺体がみつかり、検察官があるいていました。

わたしの職場は、南三陸歌津にある老人保健施設。

避難所にもなっていますが、何百人もいる避難所よりは いい環境だと思います。 何かあれば言ってね。という友人たちの暖かい言葉、今は、その言葉が1番嬉しいし、励みになります恋の矢

物資は今のところはなんとかなってます。
ただ、南三陸は壊滅してるから、長期戦であること間違いなし。困ったら、みなさんに甘える時がくるかもしれない。その時は、力を貸して下さいー。

周りの避難所の様子はわからないけど、物資は全体に回り始めているようです。

道もまだ悪いし、なにより気味が悪い。ガソリンも微妙。帰る家があるだけ贅沢なんだけど、週に二回程度しか帰れていないので、あまり連絡はとれないかもしれないけど、わたしは、元気にやってますので(^ω^)

入所者、避難民、職員、日をおうごとに 少しずつ、ストレス。
だけど、前向きになってきています!!

避難民向けに、体操も始めたんだけど、みんな元気で わたしが元気もらってますーひらめき電球

大きな余震に 施設が耐えてくれるかなーあせる


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