周りは「そんな事ないよ。貴方のせいじゃない!」

と、言ってくれるが私は息子の事故は私のせいだと思っている。


私の成育歴、私の息子の育て方、私の性格、私の接し方、私の教え方・・・後は、なんだろう?



沢山の偶然さえ、私のせいだと思える。

娘はとても穏やかに育ってくれた。

手もかからず、ひどい反抗期もなく、努力家で相応の大学も容易く推薦入学出来た。


4才下の息子は、悪阻も酷く私の体重は+0kgで臨月を迎えたのに3980gもあり、1日中新生児室の中で一番大声で泣いていた。


黄疸が酷く、保育器に入れられ、私が先に退院した。

退院してからも泣きどうしで、私の母乳では足らず、直ぐにミルクになってしまい、離乳食は嫌がる、活発に動きまわる、直ぐに泣く夜中も泣く・・・

こんな生活は入園まで続いた。

そして5歳で、小児喘息。
益々寝ない、泣く。

虚弱体質で、月の半分はお休みし、病院で点滴や吸入気の日々だった。


小学生になり、少しだけ落ち着いたが相変わらず喘息で、良く休んだ。

一年生からプールに通い、丈夫な身体を目指したが、それさえ休みがち。

四年生になり、バスケットチームに入ると、身体も大きく少しずつ元気にはなったが、高学年になると、優秀なチームメイトに触発され、急に生意気になり始め、そのまま中学へ。


とても閉鎖的な地域で、市立中学1学年90人もいなかったが、付近に国立大の宿舎や医師、大学付属の小中一貫校などが多かったため、父兄も教育熱心な方かだが多く、私は居心地悪かった覚えがある。