つらつら考えるに、私はアダルトチルドレンなのだと思う。


複雑な家庭環境だった。

両親は、中学教師で父が理科で母は国語と美術と家庭科を、教えていた。


家族構成は両親と父方の祖母と姉と私だ。


私が12歳の時、父は肝臓ガンで亡くなるが、その日まで私達姉妹は団欒を、平穏で安らげる場所としての家庭を知らなかった。


祖母は明治の人間で、美貌をかわれ、かつては呉服屋を営んでいたぼんぼんだった祖父と結婚したらしい。

だかその祖父は、店のお金や倉の骨董品などを売り払い、いろんな遊びに手を出し、挙げ句の果てに20代の若さで、一人息子である私の父を残し、肺結核で亡くなった。


それからの祖母の苦労は大変だったらしい。

加えて、夫の代わりに溺愛した一人息子は、心臓が弱く医師に長生き出来ないと、宣告されたのを必死に育て上げ、教師にした。


祖母は気が強く、綺麗好きで節約家で、そして母親っ子の私と母には意地悪だった。

物心ついた時から、祖母と母のけんかは絶えなかった。

家庭をひたすらに病弱な息子を、守り続けた祖母に、キャリアウーマンの母は目障りだったらしい。


感情的な祖母と、理性的だが強情で、プライドが高い母が合うわけもなく、けんかが始まると、父は逃げるように書斎へ行き毎晩浴びるほど、飲酒しては記憶をなくしていた。


そして、なるべくしてガンになり亡くなった。

私は機嫌の悪い父しか、記憶になく、良く「うるさい!」と怒鳴られ叩かれた。

だから正直、父の死をさほど悲しいとは思わなかった。


でも今思うと、母親と妻の間で何も出来なかった父は辛かったのだと思える。
それゆえに、怒りっぽく手が出たのだろう。

父も家庭に居場所は見つけられず、荒れたのだろう。

何故なら、葬儀の際に多くの方かだに、学校での仕事ぶりの優秀さや、人間性を称えられていた。


祖母は、二人目の孫も女の子だと知った時から、姉だけを可愛がり、跡取り娘として洗脳とも思える露骨なえこひいきを始め、その事で私達の間にも溝が生まれたまま、私達は成長した。