義姉(夫の10歳上の4人兄弟の長女、因みに夫は甘ったれ末っ子)には、頭が上がらない。

夫の闘病も唯一夫サイドで遠方なのに、私をいろいろとサポートしてくれ、息子が入院中に届いた心のこもった千羽鶴には「何のお力添えも出来ず、ごめんなさい。」と手紙が添えてあった。

そして、地元に戻り息子の手術日には、わざわざ杜の都から、認知症のご主人を連れ、ベンツで駆け付けてくれた。

ただ…病院に来る訳でもなく、少しでも側に居たいからと、お墓参りをし、実家のお仏壇に祈り続けてくれ、手術の成功を知ると、そのまま又静かに帰って行った。

一介のサラリーマンだったご主人は、認知症を患う前の現役時代、あれよあれよと云う間に支店長になり、ニューヨーク勤務になり、その間二人の息子を立派に育て上げ、帰国してからは、黒塗りの車が出迎えに毎朝来る様になった。
「ボロボロの家なのに、や~だ。」おせいじにも美人と言えぬ義姉は、そう言って笑っていた。

一週間前、彼女から「認知症の夫が、5日も戻らない。」と電話が来た。

そして昨日、裏山の雑木林で、眠った様に穏やかな義兄の御遺体が、発見された。死因は低体温症、死後2日。

今までも、度々2~3日見つからない事はあったらしいが、オムツをし体力のあるご主人を、義姉一人で介護するのは,どんなにか大変な事だったろう。

GPSを付けてたら…一瞬でも、目を離さなかったら…

義姉は、自分を責め苦しんでいる。

そこまで認知症状が進んでいた事すら、誰にも告げずにいた彼女。誰も責める人など居ないのに。


高次脳機能障害の息子を観て想う。認知症にしても、本人にその自覚はなく、それなりに幸せなんだと。

歩き周り、疲れ果てた義兄は、

『もう、そろそろいいかな?』

って、きっと思ったのだろう。
大変ご立派な最期だと想う。

優しくハンサムなジェントルマンな義兄らしい。


タイトルは、先住民インディアンの、言い伝えらしい。


私は、そういう精神の在り方に、畏敬の念を感じざるを得ない。


享年77歳、どうぞ安らかにお休み下さい。ご苦労様でした。そして、有り難うございました。