生き甲斐として、頑張ってきたクラプトンのコンサートが、あと6日に迫った。
とってもとってもとっても、嬉しいのだけど…実は、東京駅が怖い。
二年前の3月24日、息子の事故から20日目の夕刻、私と夫はICUで、人工呼吸器に繋がれ、沢山の機材に囲まれ、点滴だらけの息子のベッドサイドに、寄り添っていた。 勿論、場所がら携帯はオフ。
ナースが、私の元に来て、「お嬢さんが、緊急でお電話が欲しいそうです。」と、告げた。
こんな大変な時に、何だろう?と、いぶかしく思ったが、都内で働く娘の携帯に、電話した。「お母さん、本当にごめんなさい。盲腸で入院をしたの。こんな時なのに、ごめんね。」と。蚊の鳴く様な声で、言った。
息子の入院病院は、神奈川のK大学病院。皮肉にも息子が通っていた大学。
娘が入院をしているのは、築地のS病院。
あんな有名な病院に、職場が近いと云うだけで、紹介されたらしい。
娘の話のあと、医師が代わり「お嬢さんから、事情は伺っています。大変でしょうが、炎症反応が高いので、薬で散らさず、腹腔鏡でオペをした方が、良いと思います。こちらへ、来れますか?ご両親が着き次第、オペをします。つきましては、一泊3万円で盲腸の場合、順調に行けば2泊3日なので、宜しいでしょうか?」
……………
宜しいも、宜しくないもない!私は、直ぐに伺います。それまで宜しくお願いしますと、言い電話を終えた。茫然自失とは、この事を指すのだろう。
自分のがんの告知を、受けた時の比じゃなく、ショックだった。私と夫は、直ぐにタクシーに乗り、小田急線で新宿へ、中央線で東京駅に着いたら、既に一時間半位経っていた。
そのままタクシーで、S病院へ。泣きはらした娘の顔を見た瞬間、私は崩れ落ちた。
娘はしきりに、ごめんねを繰り返す。
可哀想で、泣けた。
娘の場合、腹痛は一切なく、ただ熱と吐き気があり、風邪だと思って悪化させたらしい。
直ぐに、オペが始まり、私と夫はホテルの様な、高層のシックで豪華で静かな病棟のロビーで、都会のネオンを虚ろに眺めながら、娘の無事を祈り待った。予定された時間が過ぎ、次第に心配が増した私は、狂った様に泣きはじめ、夫に娘に何かあったら、今すぐ飛びおり死んでやる…と、訴えた。
結婚して、夫が二度癌になり、私が鬱になり、その後、治らないがんになり、息子が交通事故に合い、脳外傷で意識不明の重体になり、その20日後に娘が入院。私は哀しみより怒りに包まれた。