昨夜は、AM1時過ぎに薬を飲んで寝たのに、3時半に目覚めてしまった。


二度寝を試みるも、断念。


はっきりとし過ぎた、覚醒だ。

私は、双曲性の躁鬱病に、なってしまったので、どうやら躁の時期が来た様だ。



此の所、ガーデニングや観葉植物で、緑の芽吹きに、反応し過ぎたのかも知れない。


やばいな!

夫の朝食を作り出す、7時まで起きてたら、1日のリズムが、だだ狂いになりそうだ。


木曜日は、息子の唯一のリハビリ日で、若い女性の言語療法士の先生が、いらっしゃる日。(たった一時間だけど…)


本当は、4月から、もう1日一時間を、若い男性STに、来て頂くはずだった。


息子は、これを激しく拒否をした。


今だって、嫌々受けてやっているのに、冗談じゃない!だったら、全て辞めてやる。



と、言い放った。


高次脳機能障害でも、失語症が顕著な息子には、とても大切な時間なのに、息子は自分の障害が、客観視出来ない障害も、併せ持っている。


厄介な事だらけ。


病気じゃないと思っている人に、病院へ行け…と、説得するに等しい。



又、一つ諦めた。



今年の夏、息子は24歳になる。


これでいい訳ない!


だけど、どうしたら良いかも解らないまま、私も夫も老いて行く。


大好きな曽野綾子さんの、新書の見出しに「やみくもに、理想を追うのではなく、ありのままの現実を受け入れ生きる姿勢が美しい」(大意のみの記述)

みたいな、一文を見つけた。




解っているつもりだし、今更理想なんて微塵も考えてはいない。



だけど、曽野先生の言葉に、私は何時も学ばされて来た。


例えそれが、カトリック精神に、源があると知っていても、ほぼ全ての本を読んで来た。


時には、励まされ…時には、叱られ…


だから、好きだった。


でも、私も変わって行く。


いや…、依然みたいな正義感や、向上心なんて抱いていたら、今の私は、生きて行けない。