公人とは、公の為に尽くす人間のことを言いますが、最もそうでなければならない国の指導者たちが、特に大国の指導者が、近年公人ではなく私人になってしまっている事態に、なんだか呆気に取られるばかりです。


民主主義の弱い部分を目前にして、法律を盾にされてしまうと、権力というのはまた厄介ですね。


どんな状況であれ、戦争は正義ではあり得ません。

そして、戦争を起こそうと戦争に巻き込まれようと、国民の命を危険に晒してしまった以上、国の指導者としては失格だと私は常に思っています。


私たち一般市民は、何も出来ないように見えますが、自由主義の国であれば、戦争に加担しないことも、また国から出て国力とならないという選択肢もあると思うのです。


上からの指示を聞いていればいい状態は楽でしょうが、それは人間としての尊厳のある行動ではありません。


どんな立場の人であっても、人間として正しいか否かを自分の価値観で考えて行動できることが、これからは必要になってくる気がします。

原子力を思い浮かべるたびに毎回思うことは、


物というのは、使い方よって全く違うものになってしまうということです。


正しい目的と用途で使えばどんなものでも素晴らしいものとなり、

間違った目的と用途で使えばどんな素晴らしいものでも凶器に変わります。


これは何に対しても言えることですが...


麻薬ですら、正しい目的で使えば、医療の為に役立つものになりうるのですから、本当に不思議です。


残念ながら、十分に身に染みてわかっているはずなのに、人類は同じ間違いを繰り返します。




そこで、見方を逆にしてみると良いのではないかと思いました。


日本には、「弘法筆を選ばず」という諺があります。

素晴らしい腕の持ち主であれば、どんな筆でも美しい文字が書けるという意味です。


また、開国直後ヨーロッパに渡った日本人は、その立ち振る舞いが素晴らしく驚かれたそうです。


つまり、磨くべきは技術ではなく、我々の人として立ち振る舞いの方なのではないかと思うのです。


技術力ばかりを追求しても、それを使いこなせるほど人間はまだ成熟していないのかもしれません。



スマホ依存はスマホが悪いわけではなく、スマホに使われてしまう人間の方に原因があります。


そんな視点で人類の進歩を再考すると、新たな発見があるような気が致します。

私の祖母は今104歳で大正生まれです。

若い頃はずっと着物で生活していて、着物は洗い張りしていたことも教えてくれました。


そんな手間もかかり、物もお金もない戦前の時代から100年ほど経過して、


現代は、洗濯乾燥機、冷蔵庫、ロボット掃除機、食洗機、ネットショッピング、在宅ワークまであり、なんと便利な世の中になったことだろうと思います。



さて、私たちの生活がその分豊かで余裕のあるものになったかというと、


より多くの時間を欲し、より多くのお金を欲する人の方が多いように思います。


人間の欲には際限がないのだなぁ....

と残念に思うばかりです。



では、無欲であり無我であることが素晴らしいのかというと、


欲を無くそうとすると意欲までなくなってしまい、無我であろうとすると自分もさることながら他の人のこともどうでも良くなってしまう、という不思議な境地に達するようです。


残念ながら、これはこれで愛のある考え方ではなくなってしまうようです。


私は、欲を持ちすぎず、自分本位になりすぎない状態がベストな気がします。



また、昨今の世界情勢を垣間見ておりますと、極端なものの見方や自分本位な考え方が目につきます。


権力を持った人間ですら、このレベルなのかと残念に思う一方で、力を持っている人間であることと人として尊敬できる人間であることは別物なので、切り離して考えるべきだったと、世界情勢に思い出させてもらう今日この頃です。


極端になりすぎること、片方の目線からしか物事を見ないこと、自分の思想と違うものを排除してしまうこと、これは世界を危険な方向に導きます。


グレーゾーンを良しとする国に生まれた日本人にはおそらく活路があります。


いい塩梅で生きていきましょう。