原子力を思い浮かべるたびに毎回思うことは、


物というのは、使い方よって全く違うものになってしまうということです。


正しい目的と用途で使えばどんなものでも素晴らしいものとなり、

間違った目的と用途で使えばどんな素晴らしいものでも凶器に変わります。


これは何に対しても言えることですが...


麻薬ですら、正しい目的で使えば、医療の為に役立つものになりうるのですから、本当に不思議です。


残念ながら、十分に身に染みてわかっているはずなのに、人類は同じ間違いを繰り返します。




そこで、見方を逆にしてみると良いのではないかと思いました。


日本には、「弘法筆を選ばず」という諺があります。

素晴らしい腕の持ち主であれば、どんな筆でも美しい文字が書けるという意味です。


また、開国直後ヨーロッパに渡った日本人は、その立ち振る舞いが素晴らしく驚かれたそうです。


つまり、磨くべきは技術ではなく、我々の人として立ち振る舞いの方なのではないかと思うのです。


技術力ばかりを追求しても、それを使いこなせるほど人間はまだ成熟していないのかもしれません。



スマホ依存はスマホが悪いわけではなく、スマホに使われてしまう人間の方に原因があります。


そんな視点で人類の進歩を再考すると、新たな発見があるような気が致します。

私の祖母は今104歳で大正生まれです。

若い頃はずっと着物で生活していて、着物は洗い張りしていたことも教えてくれました。


そんな手間もかかり、物もお金もない戦前の時代から100年ほど経過して、


現代は、洗濯乾燥機、冷蔵庫、ロボット掃除機、食洗機、ネットショッピング、在宅ワークまであり、なんと便利な世の中になったことだろうと思います。



さて、私たちの生活がその分豊かで余裕のあるものになったかというと、


より多くの時間を欲し、より多くのお金を欲する人の方が多いように思います。


人間の欲には際限がないのだなぁ....

と残念に思うばかりです。



では、無欲であり無我であることが素晴らしいのかというと、


欲を無くそうとすると意欲までなくなってしまい、無我であろうとすると自分もさることながら他の人のこともどうでも良くなってしまう、という不思議な境地に達するようです。


残念ながら、これはこれで愛のある考え方ではなくなってしまうようです。


私は、欲を持ちすぎず、自分本位になりすぎない状態がベストな気がします。



また、昨今の世界情勢を垣間見ておりますと、極端なものの見方や自分本位な考え方が目につきます。


権力を持った人間ですら、このレベルなのかと残念に思う一方で、力を持っている人間であることと人として尊敬できる人間であることは別物なので、切り離して考えるべきだったと、世界情勢に思い出させてもらう今日この頃です。


極端になりすぎること、片方の目線からしか物事を見ないこと、自分の思想と違うものを排除してしまうこと、これは世界を危険な方向に導きます。


グレーゾーンを良しとする国に生まれた日本人にはおそらく活路があります。


いい塩梅で生きていきましょう。

どこかの知事さんが、悪びれる様子もなく会見している姿をテレビで拝見しながら、思い出したのはニュンベルク裁判の様子でした。

ある種の人たちというのは、目的を果たす為であれば、ある程度の犠牲はやむを得ないと考えるようですが、この考え方はとても危険に思います。

特に政治においては。

常に個々人は大切にされるべきです。
また、小さなことを軽んじるような人間に大事など成し遂げられるわけがありません。

持っている志が大きければ大きいほど、一日一日を大切にしましょう。
些細なことに心を配りましょう。
周りの人を大切にしましょう。
小さなことの積み重ねが、大事と成り行くのだという、その真理に気がつかないと、折角の人生がもったいないです。
その積み重ねの中には世代交代もあるでしょう。
だから、自分一人の人生の中で何かを成し遂げようと生き急がなくても良いのです。
志を受け継ぐ積み重ねこそが、いつか平和な人間の世界につながるのだと信じています。
だから、優しい心で日々を大切に、自分の人生を大切に生きたいですね。

毎回思うことの本質は同じような気がするのですが、自分はそういう人間でありたいなと思った瞬間でした。